「やっちゃん。よう手をつないで歩いたやろ」。ガラス越しの面会で妻に語り掛ける梅本高男さん(7月29日、大津市の特別養護老人ホーム)

「やっちゃん。よう手をつないで歩いたやろ」。ガラス越しの面会で妻に語り掛ける梅本高男さん(7月29日、大津市の特別養護老人ホーム)

 梅本高男さん(78)=大津市=は8年前、妻の安子さん(77)と1カ月間かけて紅葉の四国を回った。二人きりの気ままな旅。マイカーで寝泊まりし、キャンプ用具で高男さんが朝食を作った。旅が終わろうとしていたある朝、道の駅で安子さんは「トイレに行く」と言って戻らなかった。
 安子さんはすぐに見つかり、当時は気にも留めなかった。電話で安子さんと話して異変を感じた長女に促され、翌年春に安子さんが受診。認知症の診断を受けた。進行は早く、仲の良かった妻との溝が深まった。食器をげた箱に詰められたり、スマートフォンを冷凍庫に入れられたり。「なんでこんなことをするんや!」と怒鳴ることが増え、安子さんは頻繁に自宅を飛び出した。
 玄関に外出を知らせる光センサーを付けるなど、思い付く策は全てやったが、外出は日に数度、昼夜を問わず繰り返し、行方が分からなくなることもあった。外出への緊張感と寝不足、言い争いのストレス…。心も体も限界を迎えた。「妻と一緒に死ぬしかないのか」とぼんやり考えたある晩。自分の両手が妻の首に掛かりかけていた。われに返り、青ざめた。
 「妻を殺してしまう、助けてくれ」
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 「相談所」の看板を頼りに駆け込んだ先が、たまたま高齢者福祉を手掛ける地域包括支援センターだった。
 地域包括支援センターで紹介され、デイサービスを利用した。ケアマネジャーに勧められ、渋々参加した男性介護者の集いに救われた。介護が思うようにいかないもどかしさを感じたり、妻の行方不明などを経験したりした同じ境遇の人たちから、どんな対応がいいのか、どのような心構えで妻と向き合ったらいいのか助言を受けた。
 今なら分かる。安子さんは目の前の怒鳴る男から逃げ、記憶に残る優しい高男さんのところに帰ろうとしていた。しかし、当時は認知症の知識がなく、相談や助けを求めなかった。結婚して共働きの娘たちにも「迷惑を掛けたくない」と安子さんのことを隠し、自分で何とかしようと抱え込んでしまった。
 自分と同じ悩みを抱えながら、誰にも言えない人は多い。今は集いを主催する立場になり、「妻も僕もこの世にいなかったかもしれない。一人で抱え込まず、力を借りることがいかに大事か」と語り掛ける。
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 安子さんは入浴や排せつが難しくなり、診断から5年後の2018年3月に特別養護老人ホームに入所した。高男さんは「家族にしかできない介護もある」と、失いかけた妻との関係をつむぎ続けた。
 施設に毎日通い、手をつないで周辺を散歩した。一緒に弁当を食べ、楽しかった思い出を話した。安子さんはしゃべることも難しくなったが、険しかった表情は柔らかさを取り戻していった。
 今年7月下旬、高男さんは施設玄関のガラス越しから2週間ぶりに対面した。新型コロナウイルスで今までのような面会は難しくなったが、15年前の北海道一周旅行の写真を見せた。僕の顔を忘れないで、と願いながら。
 「まだ若かったな、今も若いけど。やっちゃん、いつまでも元気でいてよ」
 安子さんは高男さんをちらりと見て、何度かうなずいた。
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「700万人時代 認知症とともに生きる」の第2部は、認知症になった家族への子や配偶者らの思いを紹介する。もどかしさやいらだちを感じながらも、いろいろなことを分かち合い、心を通わせようとする姿から、社会の支えの在り方を考える。