父の被爆体験を調べる工藤さん(城陽市寺田)

父の被爆体験を調べる工藤さん(城陽市寺田)

 終戦から75年を迎えた今夏、広島の原爆投下時に旧陸軍病院で勤務していた父の姿を追う医師工藤惠康(よしみち)さん(72)=城陽市寺田=を取材した。工藤さんは、生前の父から聞かされなかった被爆体験を、当時の日記などを基に調べている。戦争を経験せずとも後世に伝えようと奮闘する姿が、戦後生まれの世代にもできる「記憶の継承」の在り方を示してくれている。

 父功造さん(2006年に91歳で死去)は戦後、大阪府豊中市などで病院を開業。亡くなる直前まで患者に寄り添う熱心な医師で、漢詩や陶芸に造詣が深いなど多彩な才能を持っていた。しかし、被爆体験については家族に多くを語ることはなかったという。

 父の遺品を整理する中で、古い文語体で書かれた日記を見つけ「あの日」に迫ると、すさまじい体験が浮かび上がった。父は爆心地から北約800メートルにあった広島第2陸軍病院で、旧陸軍少尉の軍医として働いていた。建物は一瞬で倒壊し、計330人いた医療従事者の多くが即死した。自身も大やけどを負いながら、医療品が乏しい中で市民の治療に当たった…。

 具体的で生々しい体験を掘り起こすため、工藤さんは各地の資料館で文献を集め、米国の国立公文書館で原爆投下前後の航空写真を入手した。広島も実際に訪れ、原爆投下時の父の足取りを追った。

 突き詰めて調べる工藤さんに、どうしてそこまでするのか尋ねた。「広島に原爆が落とされたちょうど3年後の8月6日に自分は生まれた。運命を感じる」と工藤さん。直接戦争を体験していないが、被爆のむごさを伝えたいという使命感をにじませる。

 被爆体験を家族に話さなかった父の別の顔も、資料探しを続ける中で知った。豊中市の医師会が半世紀前に発行した会報に、「原爆体験記」と題した原稿を寄せていた。工藤さんは「身内には言えなかったが、被爆の体験を後世に残すべきとの気持ちがあった」と推察し、足跡を追う自身の行動を父は理解してくれるだろうと考えている。

 日記などは「軍医少尉の資料館」と題したホームページで公開され、工藤さんが調べなければ知り得なかった事実が詰まっている。「生の声が大切。父に直接聞けばよかった」といいつつも、「個人の体験を詳細に調べると原爆のむごさがより分かる」と話す。

 戦争の過酷さを身を持って知る証言者は刻一刻と減る。その中で、工藤さんのように個人の戦争体験を掘り起こす作業は、戦争の悲惨さや恐ろしさを具体的に想像することにつながる。それは、戦争が「記憶」から「記録」に移り変わっても遠い過去にしないための重要な方法の一つだ。「記録」を基に体験をよみがえらせることで、不戦の道を次世代に引き継ぐ―。記者もその一助を担えたらと思う。