旧歌舞練場の跡地に残された「養神」の碑(八幡市橋本)

旧歌舞練場の跡地に残された「養神」の碑(八幡市橋本)

「橋本」の地名が復活したことを祝う橋本記念碑。住民の意見を聞き、市は保存を決めた(八幡市橋本・四区公会堂)

「橋本」の地名が復活したことを祝う橋本記念碑。住民の意見を聞き、市は保存を決めた(八幡市橋本・四区公会堂)

 京都府八幡市橋本地区で、遊郭にまつわる石碑の扱いを巡って市民の間で意見が分かれている。遊郭の存在を「負の歴史」ととらえて石碑の撤去を求める住民がいる一方、「貴重な歴史資料」と保存を求める声もあるためだ。一帯の再整備を計画する市は地元自治会の意向を受けて撤去する方針で、生乾きの歴史とどう向き合うのか、市民に波紋を広げている。

 石碑は「養神(ようしん)」と大書され、高さは約170センチ。1922(大正11)年に建てられた「旧歌舞練場兼芸娼妓(げいしょうぎ)慰安余興場」の敷地内にあった。歌舞練場は戦後、アパートなどに転用されてきたが、隣接する京阪橋本駅前の整備を八幡市が計画したことに伴って今夏に取り壊された。現在は養神碑だけが残されている。

 市は整備にあたって、予定地一帯にある石碑などの扱いについて地元自治会に希望を聞いた。その結果、明治元年の行政区画整備で消えた「橋本」の地名が28(昭和3)年に復活したことを祝う「橋本記念碑」や、火の見やぐらについては保存する方向で検討することにした。だが、養神碑は「地元の住民から強い要望があった」として撤去する方針を決めた。

 自治会によると、地元には遊郭の経営者の親族も暮らしており、「石碑を見るのは耐えられない」との声があったという。自治会の関係者は「住民の中には親の仕事を隠して生きてきた人もいる。働いていた女性の悲劇を知る人たちにとって、あの石碑は供養墓と同じで、目に触れるのはつらいという気持ちがある」と撤去を求めたという。

 一方、保存を求める動きもある。8月27日には市民ら11人が集まり、橋本の歴史や駅前一帯の文化財をテーマにした集会を開いた。養神碑に同市の円福寺住職や妙心寺派管長を務めた故神月徹宗氏の名が記されていることや、府の営業許可を受けて50周年となる37(昭和12)年に記念碑として建立されたとみられることなどが報告された。

 報告会では「養神碑は橋本の遊郭が繁栄した歴史を刻んでいる」「アウシュビッツと同じように、負の遺産であっても歴史を背負っていくことは大切ではないか」と歴史的な価値を指摘する意見が相次いだ。参加者の一人は「貴重な歴史資料として幅広く理解を呼び掛けていかなければならない」と話していた。

 水陸の交通の要衝にある橋本の遊郭は、37年に貸座敷86軒、娼妓675人で最盛期を迎えた。58(昭和33)年の売春防止法の全面施行で各地の遊郭街とともに衰退した。