馬場正敏さん(右)の訪問を喜ぶ久子さん=8月29日、京都市南区

馬場正敏さん(右)の訪問を喜ぶ久子さん=8月29日、京都市南区

 大阪府豊中市の馬場正敏さん(57)は毎朝7時、通勤途中の駅から携帯電話を掛ける。「お母さん、昨日はどうやった?」。電話口から京都市南区で独り暮らしをしている母久子さん(85)の弾む声。「ヘルパーさんが来てくれてねえ」
 久子さんには認知症がある。一人息子の正敏さんは週末になると電車を乗り継ぎ、1時間半かけて実家に向かう。10年以上、豊中と京都を往復する生活を続けている。
 昨年5月に亡くなった父正幸さん=享年(85)=も認知症があった。父の症状が急に進み、母にきつく当たるようになったときは平日も実家に泊まり、京都から通勤した。過労で意識を失い、集中治療室(ICU)に救急搬送されたこともあった。
 それでも同居は難しかった。両親は長年暮らす京都を離れることを嫌がった。正敏さんと妻は大阪府内の市役所職員で、5人の子がおり、京都に生活を移すのは現実的でなかった。仕事を辞めて単身で京都に移る「介護離職」も考えたが、住宅ローンや教育費のため離職はできなかった。
 「実の両親なのに、なぜ一緒に暮らして面倒を見ないのか」と、遠距離介護をしている人を「冷たい人間」と見る風潮が根強い。でも、「私が通うほかに選択肢はなかった。それぞれの家庭の事情があり、人生がある。百人いれば百通りの介護のやり方があっていいはず」。
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 両親の支えになろうと心身をすり減らしたが、介護を通じて、疎遠だった父正幸さんとの関係を築き直すことができた。
 印刷業を営み、職人かたぎだった父とは反りが合わなかった。正敏さんは大学進学を口実に、父から逃げるように京都を離れたが、父が認知症になったことで再び向き合った。
 暴言を繰り返す父に落ち着いてもらおうと、なぜオムライスを食べると機嫌が良くなるのかを探ったら、戦争で身寄りを失った父にとってわずかに残された肉親との思い出からだったと知った。
 亡くなる数日前、腹痛に苦しむ父が「風呂に入りたい」と言った。湯船に入るまで父の体を支え、手おけで肩に湯を掛けてあげた。「ああ、気持ちええわ」。表情が和らいでいた。
 「最後に父の望むことをかなえてあげられた。本当の家族になれた」
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 遠距離介護やヘルパーだけで、要介護度4の母の生活は成り立たない。地域の住民に支えられてこそだ。
 先月は久子さんがレンジで温めていたレトルトかゆの袋が破裂し、中身が部屋中に飛び散った。毎日様子を見に来ている近所の女性(76)が片付けた。いすから滑って自力で起き上がれず、転倒したままの久子さんを助けたこともあった。
 ただ、介護業界に昨年転職した正敏さんは「母のように環境に恵まれた人は多くない」と感じている。
 団塊世代が75歳以上となり、認知症の人が700万人を超えるとされる2025年に向け、国や自治体は高齢者が可能な限り在宅で暮らせる環境づくりを進めているが、先行きは明るくない。
 「介護サービスの担い手も地域の支えも足りない。もっと自分のこととして介護を巡る課題に関心を寄せるべきだ」と正敏さん。
 遠距離介護を人ごとのように「冷たい」とみる意識は、社会の無関心さの裏返しではないか。