星野さんの記事に目を落とす妹の秋元文枝さん(左)。「兄のことは永久に忘れません」と話した=京都市伏見区

星野さんの記事に目を落とす妹の秋元文枝さん(左)。「兄のことは永久に忘れません」と話した=京都市伏見区

 太平洋戦争終戦直前に特攻で亡くなった京都市伏見区の青年について8月に京都新聞で紹介したところ、記事が青年の妹(85)の目にとまった。現在、女性は通所介護施設を利用している。施設によると女性は、普段は周囲に心の内を話すことは少ないが、記事をきっかけに亡き兄について職員へとうとうと語り始め、涙をこぼしたという。介護施設を訪ね、女性に話を聞いた。

 青年は、沖縄県の海で敵艦船に突入した星野實(みのる)さん=当時(19)。特攻の命令が下るまでの2カ月間を過ごした鹿児島県の喜界島で星野さんと交流があった住民の女性(96)が「(星野さんは)しきりに妹の話をしていた」と証言したことも取り上げた。

 星野さんの妹秋元文枝さんは、同区のデイサービス「晴れる屋」に通っている。8人きょうだいの7番目で、16歳で海軍飛行予科練習生になった4番目の星野さんとは年が九つ離れていた。記事に触れた際の様子を、施設職員の松江志乃さん(48)が記者へ手紙で伝えてくれた。

 松江さんによると、記事が掲載された8月11日、入浴介助中に秋元さんは「兄の命日やねん」と話した。施設で購読する京都新聞に戦争に関する記事が連日掲載されていたことを思い出した松江さんが「何か載っているかもしれないね」と軽い気持ちで新聞を見せると、秋元さんは「これや、これ。お兄ちゃんや」と掲載された遺影を指さしたという。

 「こんな場面に出合えるなんて」と松江さんは驚く。秋元さんは、松江さんが記事を読み上げるのを聞きながら、兄の思い出を語り出した。その内容が記事の一段落先に書かれている、そんな状態が数分間続いたという。

 秋元さんは涙目になり、はなをすすりながら話を続けた。きょうだいについて職員へぽつぽつと話すことは時折あっても、周囲と打ち解けて話す様子はあまり見せないという秋元さん。この日のように言葉豊かに思いを語る姿に松江さんが接したのは初めてだった。

 記者の取材に応じた秋元さんは「別れの時は泣きました」と目を赤くした。絶対帰ってこないと幼心に思ったのだという。最後に会った時、「頑張れよ」と声を掛けてくれた。仲が良くて、とにかくかわいがってくれた-。秋元さんは兄の姿を思い返し「悲しい」と口にした。75年前の星野さんとの交流を証言した喜界島の女性について「会って、兄の話がしたい」と言い、特攻で肉親を亡くしたことへの思いを問うと「悔しい」と返事があった。

 施設管理者の君村淳さん(48)は「秋元さんの語りや涙の大切さは、どんなに年齢を重ねても変わらない」と実感したという。そして秋元さんに限らず、日々向き合う高齢者それぞれが持つ戦争の記憶の重みに思いを深めた。「戦争を知らない僕たちが学び取ることは、たくさんある」