亡き母親を思い、涙を流す河合雅美さん(8月30日、京都市南区)

亡き母親を思い、涙を流す河合雅美さん(8月30日、京都市南区)

 「お母ちゃん、頑張って食べな、死んでしまうで。もう死ぬんか?」。河合雅美さん(48)=京都市南区=が思いを込めて呼び掛ける。母はもうろうとしていたが、「まだ、まだ、死なへん。食べるで!」と声を振り絞った。
 母の中西栄子さんは2012年に認知症と診断され、今年4月に72歳で亡くなった。母の「食べたい、生きたい」意欲にどこまで寄り添えたのか。雅美さんは自問する。
 入院先の病院で母は食事を取れなくなった。医師は「食事はもう無理」とみて、二つの選択肢を示した。チューブなどで栄養投与するか、特別養護老人ホームに戻って最期を待つか。
 飲み込む能力に問題はなく、介護のプロの手でまた食べられるようになればと望みをつなぎ、特養に戻った。しかし、食べ物を気管内に入れて吸引が必要となり、すぐに食事が禁じられた。
 何もせず母の死を待つのはつらかった。こっそりアイスクリームを食べさせたら、耳かきほどの量をずるっと飲み込んだ。生きようとする気力を感じた。
 日に日に、母は目を開けている時間が短くなった。「危ないかも」と雅美さんが帰宅を延ばして見守った晩。母はあえぐような息遣いから急にぱっと目を見開き、涙を一筋流して息を引き取った。
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 「人生の最後には焼き肉を食べ、生ビールを飲みたい」が母の口癖だった。せめてもと、お棺に肉とビールを入れて見送った。
 「認知症で食べることを忘れたのだから、試しても無理」「動物は食べられなくなれば死ぬものですよ」。医師や看護師の言葉は医学的に正しかったかもしれないが、母の気持ちを受け止めてもらえているとは思えなかった。
 私が仕事や家庭を犠牲にして通って食べさせたら、元気になったのではないか。人工的に栄養を取って体力が回復したら食べられるようになったのかも。いやいや、これが寿命だった…。あの涙の意味はなんだったのか、答えの出ない問いが堂々巡りした。
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 栄子さんが認知症を発症してから、多くの人たちが「少しでも本人や家族の思いをかたちに」と支えてくれた。通所先の作業所の提案でバンドが結成された。元小学校教員で式典伴奏を担当した栄子さんのピアノと、知的障害のある子どもたちのハンドベル。栄子さんは子どもにせがまれ、ピアノの弾き方を教えたりもした。
 「思いをうまく伝えられなくなっても、周りに想像してもらって理解されたいと母は願った」と雅美さん。認知症の本人が実名で語ることがほとんどなかった頃から、栄子さんは講演などで登壇してきた。寄り添ってほしい。その訴えに共感は広がりつつあった。ところが、最期の環境はそれとはかけ離れていた。
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 雅美さんは「認知症の人と家族の会」京都府支部の会報で栄子さんのことをつづっている。家族なら誰もが経験する、みとりの葛藤。本人が終末期まで意思を尊重されて生きられる社会に必要なこと。もっと多くの人に考えてもらいたい。
 「母は認知症のことを知ってもらおうと頑張った。今度は家族として感じたこと、足りないことを伝えることが私の使命かなって。誰かに響いて認知症の人が生き生きと暮らせる社会をつくろうと動くかもしれないし、これから経験する家族の備えにもなると思うんです」