塩谷5号墳から出土した2体の巫女形埴輪
((公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター提供)
空撮された塩谷古墳群の全景((公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター提供)
南から見た発掘調査時の塩谷5号墳((公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター提供)

 今回、紹介する塩谷古墳群は京都府のほぼ中央にあたる船井郡京丹波町にあり、標高150メートル以上の山々からなる丹波高原内の開けた小盆地南西部の低丘陵上に位置しています。塩谷古墳群は土砂採取の場所に選定された丘陵上を府教育委員会が事前踏査し、発見した古墳群でした。新発見された古墳群は発掘調査を実施することとなり、府教委と府埋蔵文化財調査研究センターによって1989年に調査されました。

 その結果、塩谷古墳群は12基の古墳からなる古墳群であり、全ての古墳が丸い形をした円墳と判明しました。直径8メートルから15・5メートルの大小さまざまな古墳が築かれ、残りのよい古墳の調査から、墳頂部に長方形の穴を掘り、その中に木の棺(ひつぎ)を直接置く方法で死者を埋葬したことが分かりました。また、当時の土器や鉄製品などが出土したため、今から約1500年前、古墳時代中期の終わりから古墳時代後期の初めにかけて築造されたということが明らかになりました。墳丘の重なり方や出土品から、5号墳→4・8号墳→3・7号墳→2・11号墳の順序に造られたことも判明しています。

 12基の古墳のうち5号墳は塩谷古墳群の中で最も古く、大きな古墳であり、さらに丘陵の中でも最も高いところに位置しています。5号墳には、古墳群を築造するきっかけになった人物が埋葬されていたと想定できます。5号墳は既に盗掘されており、埋葬施設にどのような副葬品が入っていたのか詳細は不明ですが、周辺から土器や鉄製の鏃(やじり)・刀子(とうす)などが見つかっています。墳丘のまわりには周濠が掘られており、墳丘斜面からは多量の埴輪(はにわ)が出土しました。墳丘斜面には筒の形をした円筒埴輪とよばれる埴輪が下部を埋めた状態で22本発見され、本来は全部で約35~40本の円筒埴輪が古墳のまわりに置かれていたと考えられます。また、周濠の中からは墳丘斜面から転がり落ちた円筒埴輪のほかに、当時の祭事に関わっていた女性を模した巫女(みこ)形埴輪が出土しました。巫女形埴輪の一部が墳頂からも見つかっているため、元々は古墳の頂上に置かれていたと考えられています。

 巫女形埴輪は2体確認できます。凜(りん)とした顔つきをしており、首飾り、襷(たすき)、衣、帯、裳(も)などの装飾品や服装など細かい部分まで丁寧に粘土でつくっています。2体の巫女形埴輪は同じ作り方・服装をしていましたが、異なった所作を行っていました。2体は両手を胸の前に掲げるような所作をしていますが、1体は何かを手のひらに載せて捧(ささ)げるような格好で、もう1体は胸の前で何かを持っているような格好をしています。この2体がどのような想(おも)いから5号墳に立てられたのか詳細は分かりませんが、当時の祭りの風景を墳頂に表現したものではないかと想像されています。

塩谷古墳群
土砂採取の予定を変更して整備された塩谷古墳公園(府教委提供)

 発掘当時は府内で2例目の巫女形埴輪として大きな話題となり、多くの方が現地説明会に訪れました。塩谷古墳群の発掘調査は、京丹波町では発掘例の少ない古墳群の調査であり、丹波地域の古墳時代中・後期の社会様相を考える上で貴重な資料となりました。

 塩谷古墳群は初めに述べたように当初、土取工事が行われる予定でした。しかし、今回紹介したように府の歴史を考える上で重要な遺跡であることが分かり、12基のうち11基が現地に保存されることになり、土砂採取を計画した府農林水産部の協力により塩谷古墳公園として整備されています。古墳群は町史跡に指定され、5号墳から出土した2体の巫女形埴輪は府有形文化財に指定されました。

 塩谷古墳公園のすぐそばには「道の駅 京丹波 味夢の里」があり、塩谷古墳公園へ赴くことができます。また、巫女形埴輪のレプリカやグッズも置かれています。道の駅に立ち寄った際には、ぜひ、古墳公園を訪れて、古代のロマンを感じてみてはいかがでしょうか。(京都府教育委員会文化財保護課記念物担当 北山大熙)