屋根のふき替え工事を終えた松尾大社本殿(2018年3月、京都市西京区)
文字が書かれていた束

 「束(つか)の間の休息」といったように、わずかな時間のことを「束の間」ということがあります。ごく短い長さを表す単位に「束」というものがあり、これに由来する表現のようです。

 建築部材にも「束」というものがあります。これは床や屋根などの荷重を支える垂直材のうち、「柱」に対して短いものを言います。おそらく「束の間」と同じ由来の呼び名でしょう。そんな「束」に、興味深い発見がありました。

 京都市西京区に所在する松尾大社の本殿は天文11(1542)年の建築とされ、中世にさかのぼる数少ない神社本殿建築として重要文化財に指定されています。屋根の檜皮(ひわだ)ぶきが耐用年数に達していたため、2016年11月から今年3月にかけて、屋根のふき替え工事が実施されました。

 工事に伴って屋根裏を調査したところ、屋根を支えている「束」にその発見はありました。そこには天文11年に墨書きされた文字が、極めて良好な状態で残されていたのです。

 

 書かれている内容は、年号のほか造営に関わる記録で、まさに「束の間」と呼ぶにふさわしいわずかなスペースに所狭しと書き残されていました。

 このうちまず、「此材木大原野春日山より出し」という記述に注目してみましょう。この記述は、この建築の木材が「大原野春日山」で伐採されたことを示しています。

 「大原野春日山」とは、京都市西京区大原野に「春日町」として現在も地名に残る地域であると考えられます。松尾大社からこの地域までは直線距離にして5kmほどしか離れていません。ここから木材を入手していたことは、木材を近場で調達していた当時の建築生産のありようを物語っています。

 次に、「此前之社者百二十年畢」という記述について考えてみます。松尾大社の前代の本殿は、120年を畢(お)えた、つまり築120年であったといいます。

 ところで、この建物の柱の一本には束の文字とは異なる筆跡で「おうゑい三十年」と記されていました。応永30(1423)年は現在の本殿が建てられたとされる天文11年の119年前にあたります。また柱には一部、以前使われていたものの、その後不要となり現在使われていないほぞ穴が彫られていました。

束に書かれていた文字。松尾大社本殿の来歴や木材の産出地などが記されていた

 束の記述と柱の様相を合わせて考えると、松尾大社の現在の本殿は、応永30年に建築された本殿が、柱など主な部材はそのままに、天文11年に改造を受けたものであることが判明します。柱のほぞ穴は応永30年から天文11年の間必要とされたものと考えられるのです。

 中世の神社建築において、使われている木材の産地や改造の経過が判明する例は少なく、松尾大社本殿の束に書き残されたこれらの情報は極めて貴重なものといえます。

 また、この束には文字の他にも注目すべき点がありました。それは、その部材の表面が鉋(かんな)で仕上げられていたことです。

 通常、屋根裏で用いる部材を、滑らかな仕上がりを旨とする鉋で加工することはありません。普段人の目に触れることがないこれらの部材は、釿(ちょうな)(荒削りをする道具)などによる荒い加工で留めておいて必要にして十分だからです。にもかかわらず当時の工匠がこの束をわざわざ鉋で仕上げたのは、字の書きやすさ、残りやすさへの配慮からと考えられます。

 つまりこの文字は、単なる思いつきで記されたものではなく、部材の加工段階からあらかじめ企図して書かれたものと考えられるのです。その文字が毛筆で一文字一文字丁寧にしたためられていることからも、造営の記録を後世に伝えようとする書き手の強い意思がみてとれます。

 この束の文字、実は大正14(1925)年に京都府が実施した修理事業の際にも大きく注目されたことがわかっています。同じように天文11年以来、修理の機会のたびに時々の人たちの関心を集めたに違いありません。

 書き手の意のとおり、造営の記録は後世に伝えられています。松尾大社本殿の「束の間」は、480年の永きにわたってこの建築が有する歴史を伝え続けているのです。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 村田典彦)=写真及び図は京都府教委・文化財保護課提供

松尾大社