「中村藤吉本店」宇治本店で見つかった地下防空壕(宇治市宇治)

「中村藤吉本店」宇治本店で見つかった地下防空壕(宇治市宇治)

地下防空壕の出入り口。地上とは階段でつながっている

地下防空壕の出入り口。地上とは階段でつながっている

地下防空壕の天井に残る電線と電球設置跡

地下防空壕の天井に残る電線と電球設置跡

 京都府宇治市宇治の老舗茶商「中村藤吉本店」宇治本店の敷地内で、第2次世界大戦中に造られたとみられる強固な地下防空壕(ごう)が約40年ぶりに全貌を現した。大人10人ほどが避難できる鉄筋コンクリート造り。宇治本店の建物は明治から大正期の茶商屋敷として知られ、現在も宇治茶の売り場やカフェとして使われており、中村藤吉本店は「防空壕も代々重ねてきた歴史の一ページ。保存・公開も検討したい」としている。

 宇治本店はJR宇治駅や平等院に近い宇治橋通に面し、国が選定した重要文化的景観「宇治の文化的景観」をかたちづくる主要な建物。中庭には市の名木百選に選ばれ、明治期の当主が商売繁盛などを願って植えた樹齢約250年のクロマツがある。しかし今年に入って樹勢が弱り、根が地下で十分に伸びていなかったため、クロマツのそばの地下にあると伝わっていた防空壕を9月上旬、約40年ぶりに掘った。

 底にたまっていた水を抜くと、厚さ30センチのコンクリートが縦3メートル、横2・7メートル、高さ1・9メートルの空間を構成。天井には太いはりが2本、地上に通じる空気穴が2カ所、電線や電球を設置した痕跡もあった。出入り口は2カ所で、1カ所は幅70センチの階段7段で地上と通じ、もう1カ所ははしごをかけて上り下りしていたようだ。

 6代目の中村藤吉社長(68)によると、戦争が始まったころに4代目当主が作ったといい、当時は敷地内の主屋に4代目とその家族、住み込みやお手伝いさんら計7人が暮らしていた。戦後は出入り口に仮の鉄板をかぶせ、約40年前に完全に封印した。

 戦後生まれの中村社長は子どものころに何度か防空壕で遊んだ思い出があったが、長男の省悟専務(40)は今回、初めて中に入り、「防空壕というと土壁の簡素な造りを想像していたが、頑丈で驚いた」と語る。

 省悟専務は、5代目の妻にあたる祖母から、空襲警報が鳴って防空壕に逃げたという話を聞いたこともあり、「防空壕を実際に見て、戦争が及ぼす当時の様子がリアルに伝わってきた。戦後75年がたって戦争経験者が少なくなる中、次世代に戦争遺跡として見てもらう価値がある」と提案。中村社長も「私にとって防空壕は身近で当たり前の存在だったが、クロマツの樹勢も回復しており、防空壕も保存・公開を含め、今後のあり方を考えたい」と話している。