鍵穴のような形をした前方後円墳はわが国を代表する古代の墳墓です。世界文化遺産候補である大阪府古市(ふるいち)・百舌鳥(もず)古墳群を構成する大山(だいせん)古墳(仁徳陵)や誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵)などの巨大前方後円墳は、日本のピラミッドとも呼ばれます。しかし、前方後円墳がどのように誕生したのか、現在も定説はなく考古学の大きな課題となっています。

整備された黒田古墳(写真はいずれも南丹市教育委員会提供)

 現在、最古の大型前方後円墳とされているのは、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)の墓とも壱与(いよ)の墓ともいわれる奈良県桜井市箸墓(はしはか)古墳です。箸墓古墳は前方後円形の墳丘に、葺石(ふきいし)、段築(だんちく)を備え、円筒埴輪の祖型である特殊器台も出土しています。このように箸墓古墳には後の前方後円墳の主要な要素が揃っています。しかし、方形周溝墓や台状墓などの弥生墳墓との隔絶は大きく、前方後円墳の誕生については未(いま)だに不明な部分も多いのが実情です。

木棺が残っていた埋葬施設
出土した鏡
前方後円形の墳丘
黒田古墳

 1990年、現南丹市園部町黒田・船阪で工業団地造成に伴う発掘調査が行われました。調査の対象となったのが黒田古墳とその周辺の古墳群でした。発掘調査が進むにつれ、黒田古墳は非常に特殊な古墳であることが分かってきました。

 黒田古墳の墳丘は全長約52メートルの前方後円形を呈しています。墳丘は後円部が楕円形、前方部がバチ型に広がる、古い前方後円墳にみられる形状をしており、大型前方後円墳にみられる段築や葺石、埴輪は認められませんでした。また、墳丘の築造に際しては下半分は地山を削り出して整形し、上半分は盛り土を用いていることも分かりました。

 埋葬施設は後円部で2基が見つかりました。古墳築造当初に設けられた埋葬施設は、長さ約10メートル、幅約6・5メートル、深さ約2・5メートルを測る大規模な墓壙(ぼこう)(墓穴)が掘削され、墓壙の底には角礫(かくれき)が配され、礫のない中央部に粘土が貼られていました。粘土の上には木棺そのものが残っていました。木棺はコウヤマキ製のくり抜き式舟形木棺であり、全長3メートル分が残っていました。また、墓壙に残された木材の痕跡や土層の観察結果から、墓壙内に木の部屋を作り、その中に木棺を納めた木槨木棺墓(もっかくもっかんぼ)と呼ばれる特殊な埋葬施設ではないかと考えられています。副葬品は割られてから納められた銅鏡1面のほか、管玉6点、鉄鏃(てつぞく)24点などが検出されました。銅鏡は双頭竜文鏡(そうとうりゅうもんきょう)と呼ばれる2世紀中頃の中国後漢で製作されたもので、「君宜官 至位三公」(「(この鏡を持つ者は)高い位に就く」といった内容)の銘文が鋳出されています。もう1基の埋葬施設は、墓壙内に木棺を直接納めた形のものであり、何かに塗られた漆膜(うるしまく)が出土しましたが、そのほかに顕著な副葬品はありませんでした。

 バチ型の前方部や、木槨木棺墓という特殊な埋葬施設をもつことは、黒田古墳が古墳出現期を前後する段階の3世紀頃に造られた可能性を示していました。年代の決め手になったのは、盗掘坑から出土した土器でした。庄内式(しょうないしき)と呼ばれる段階の二重口縁壺であり、箸墓古墳より古い築造年代を示していました。黒田古墳は古墳出現期の墳墓として大きく報道され、注目を集めました。

 現在、黒田古墳をはじめ、兵庫県養久山(やくやま)墳墓群、岡山県宮山古墳、徳島県萩原(はぎわら)墳墓群など、日本各地で箸墓古墳以前に造られた前方後円形の墳墓の調査例が増えつつあります。弥生時代から古墳時代へと我が国の歴史が大きく転換する時代、前方後円墳がどのようにして誕生したのか、資料の蓄積とともに研究が進められています。将来、前方後円墳誕生の謎が明らかになる日も来るのではないでしょうか。

 調査の後、黒田古墳は、開発部局の理解により現地保存されることが決まり、1998年に遺跡は府指定史跡に、出土品は府指定有形文化財に指定されました。古墳は旧園部町(現南丹市)により整備が行われ、陶板製の解説板も設置され、公開されています。また、出土品は南丹市文化博物館で保管・展示されていますので、現地にお寄りの際は是非こちらも訪ねてください。(京都府教育委員会文化財保護課記念物担当 石崎善久)