終戦の日から1年後の1946年8月15日に行われた全国中等学校優勝野球大会の開幕試合。一回表、府立京都第二中の先頭打者として打席に入ったのが先月31日に91歳で亡くなった黒田脩さんだ▼この逸話をうれしそうに話す野球人は少なくない。長く語り継がれたのは新時代の象徴として記憶されているから。その瞬間、戦後の野球は幕を開けた▼京都と野球の歴史を語るとき、二中の存在は欠かせない。15年の第1回大会で優勝、再出発となった46年は準優勝。2年後に閉校となったが、84年に後継校の鳥羽高が開校する。「甲子園で母校を応援したい」というOBたちの願いがかなった▼鳥羽高が甲子園に「復活」するのは2000年の選抜大会。その前年冬、黒田さんらOBは秋の大会で活躍した後輩たちを中華料理店に招き、振る舞っている。仲間と笑顔で箸を伸ばす後輩の姿は自らの青春時代と重なった▼読売新聞で社会部長を務めた故黒田清さんの兄で、豪快なイメージを想像したが実直な人柄でいつも穏やか。その一方、各校の思惑が入り乱れ旧関西六大学野球が分裂した際は責任者として奔走。辣腕(らつわん)を発揮し新リーグ発足にこぎ着けた▼ちなみに冒頭の打席は四球。派手な安打ではなく静かに一塁へと向かった。それも冷静な黒田さんらしい。