今も祖母のことを思う森さん(8月22日、京都市中京区)

  大嫌いだった幼稚園が終わると、ばあちゃんがいつも迎えにきてくれた。「きょうも頑張ったね」。帰路のあぜ道で背負われ、ばあちゃんの口ずさむ「赤とんぼ」の歌を聴きながら見た、真っ赤な夕焼け。いまも鮮やかな記憶として残っている。


 森祐希南(ゆきな)さん(23)=京都市南区=は両親が共働きで、小さいころから祖母の古川カヨ子さん=享年(83)=の世話を受けた。同居するまで毎日、大分県内の自宅に離島から船で来てくれた。弟が生まれてからは独り占めできず、すねたこともある。

森さんと祖母の思い出の写真

 祐希南さんが中学生になったころ、カヨ子さんに認知症の症状が現れた。物忘れが進み、買い物に出て帰り道が分からなくなったり、両親を「泥棒」扱いしたりした。やがて深夜に何度も外に出ようとするようになった。


 高校進学を機に祐希南さんは寮生活を始めたが、帰省の度に症状が進行していた。祐希南さんが学校の成績表を見せた1時間後、そのことを知らない親が同じ成績表を見せたら、同じように「ゆきちゃん、えらい」と泣きながら喜んだ。「こんなに忘れるようになったのか」と胸が痛くなった。

赤ん坊の時に抱いてくれた祖母が認知症になり、森さんの支えで歩くようになった。

 京都の大学に進学してからも頻繁に大分に帰省した。「いつか私の顔も忘れてしまうんじゃないか」と不安だったが、何よりつらかったのは、生きる気力がしぼんでいくカヨ子さんの姿を見ることだった。「生きていて、ごめん。私なんか早く死んだ方がいい」と言うようになった。老人ホーム入所後は、面会に行くと「やっと迷惑を掛けずに済む」と言う日もあれば、「家に帰りたい」と言う日もあった。


 大好きなばあちゃんが生きていてくれるだけで私は幸せ。祐希南さんはいつも目を見つめ、手を握って自分の気持ちを言葉で伝えた。「忘れたって、私が何回でも言えばいい」。成人式の時は施設まで晴れ着姿で会いに行った。「大学の卒業式、見に来てね。いずれ結婚してひ孫も見てもらわなきゃ」


 カヨ子さんは2018年の冬に亡くなった。ばあちゃんは、家族の緊張やいらいらを感じ取っていたのではないか。そんな悔いはあっても、ばあちゃんは今もかけがえのない存在だ。


 祐希南さんは、困難を抱える本人や家族を丸ごと支えることができる存在になろうと、大学院に進んでカウンセラーを目指している。


 「私の中に夕焼けの思い出は残り続けている。これからもばあちゃんと一緒に生きていく」

祖母の塗り絵は今も実家のリビングに飾ってある