下坂厚さん(右)と佳子さん。お互いを思いやり、認知症の症状を詳しく話したり、細かく指摘したりはしない=8月30日、京都市北区

 「絶望の暗闇にいた」

 京都市北区の下坂厚さん(47)は2019年夏、アルツハイマー病の若年性認知症と告げられた。働いていた魚屋で、注文を忘れたり、エビを数え間違えたりと仕事のミスが増え、病院を受診した。医師から診断を聞いた時、「まさかこの年齢で」と驚いた。将来の不安が頭をよぎり、妻に負担をかけることを申し訳なく思った。

 魚屋の社長は慰留してくれたが、すぐに退職を決めた。「だんだんできなくなるのを仲間に見られたくない。迷惑を掛けたくない」と思った。何をするのも嫌になり、ほとんど外出しなくなった。「外で働くことで社会とつながっていた」。社会の中で、居場所がなくなった。

 雇用保険の失業手当はあったが、障害年金は初診日から1年6カ月経過しないと障害認定されず、すぐには受け取れなかった。家の売却も考えた。「死んだら保険金で住宅ローンを返せるかな」。落ち込んだ心に暗い考えがよぎった。

 妻の佳子さん(55)は「本人が一番しんどい。不安を見せたらあかん」と自分に言い聞かせた。症状について聞くのは「つらいだろう」と思い、そっと見守った。心の内を妹や独立した子ども、友人に聞いてもらい、気持ちを落ち着かせた。

 病院が紹介してくれた「認知症初期集中支援チーム」との出会いが厚さんの転機となった。医療職や福祉職とつながり、京都市右京区の高齢者福祉施設西院のデイサービスでアルバイトを始めた。現在は正職員になり、利用者の食事や移動などを介助している。

階段を上るデイサービスの利用者をそっと支える下坂さん。同僚は「認知症の方に寄り添うケアが上手」と話す(8月27日、京都市右京区・高齢者福祉施設西院)

 就業で居場所が見つかって「前向きになった」。同じ病気の人のために、社会に足りないことを伝えようとSNSで発信し始めた。

 生活や仕事に工夫も重ねている。厚さんはときどき、時間や場所が分からなくなる。スマートフォンのアラームや地図アプリを使うなどして自身の症状に対応している。

勤務するデイサービスまでの道を示す下坂さんのスマートフォン。地図アプリが認知症の症状を補ってくれる(8月30日)

 短時間でなくなる記憶もあるため、メモもこまめに取る。胸ポケットに入った多くのメモの中に、今の思いを記したものがあった。「伝えたいこと」と書いた後に続く文は、認知症と分かった時の心境とは違っていた。

 「認知症になっても終わりじゃない」