新「国民民主党」の設立総会で外交政策について解説する前原氏(東京都内)

新「国民民主党」の設立総会で外交政策について解説する前原氏(東京都内)

 新「国民民主党」の代表代行に就いた前原誠司元外相(衆院京都2区)率いる政策グループ「凌雲(りょううん)会」が存続の危機を迎えている。旧国民民主党にいたメンバーが全員合流新党の立憲民主党に参加し国会議員は前原氏だけになった。旧民主党で最盛期に40人以上の国会議員が参加し、立民の枝野幸男代表や自民党二階派の細野豪志元環境相らも名を連ねた「改革派集団」の歩みは、旧民主勢力の栄枯盛衰の歴史とも重なる。

 「前原グループ」と呼ばれる凌雲会が発足したのは2002年。旧民主党代表選に立候補した前原氏を支援する議員が中心になり旗揚げした。かつて在籍した京都選出の元参院議員の松井孝治慶応大教授は「前原さんを代表、そして総理にしようという会だった。仙谷由人さん(元官房長官、故人)が親分でドンと構え、枝野さんが前原さんと同格でいた」と語る。

 旧民主党の政策グループはいくつかあったが、自民党の派閥と異なり、掛け持ち可能で「カネ、票、人事の共同体としての色彩は薄かった」(松井教授)。凌雲会は毎週木曜の昼、例会を開き情報交換する。06年は約25人、政権交代した09年は約30人、前原氏が会長に正式就任した11年には約40人に。京都選出の福山哲郎参院議員や山井和則、泉健太両衆院議員も顔をそろえ、前原氏は「いい人材がたくさん集まり、梁山泊のようだった」と懐かしむ。

 ところが民主党政権が瓦解し、離合集散を繰り返す中で凌雲会も衰退した。17年に民進党代表だった前原氏が希望の党との合流を決め旧民主勢力が分裂。福山氏や泉氏も会を去った。

 そして今回の立民と国民の合流により、残った同志7人も前原氏と別の道を選んだ。会合を数回持ち、前原氏は各議員の地元に足を運んで相談に乗ったが、選挙区や家族の事情をおもんぱかり、無理に引き留めることはしなかったという。「皆さんには当選してもらわないといかん。(規模の大きな)合流新党に行ってもらった方が当選しやすくなるのは間違いないので」

 前回の衆院選で比例復活した当選1回の関健一郎衆院議員(愛知15区)は「今回の決断で一番嫌だったのは前原さんと党が分かれること。どこへ行っても忠誠は変わらない。ただ自分は合流新党に入り、中から日本を変えていく」と話す。

 雲を凌(しの)ぐ高い志を胸に20年近く続いた政策グループとしてはいったん区切りの時を迎えるが、古株の議員の提案で懇親会に形を変えて継続することになった。

 「原点に戻る」と改革保守にこだわり、ひとり異なる道を歩む前原氏。「今までの同志は大切にして、また新たな仲間、同志を求める」と再出発する。