インタビューに答える故立石義雄さん(2019年12月、京都市下京区・京都経済センター)

インタビューに答える故立石義雄さん(2019年12月、京都市下京区・京都経済センター)

新型コロナウイルス感染症で急逝した立石義雄さんの最期に立ち会えなかった経験を語る長男の郁雄さん(京都市中京区)

新型コロナウイルス感染症で急逝した立石義雄さんの最期に立ち会えなかった経験を語る長男の郁雄さん(京都市中京区)

 新型コロナウイルス感染症で4月に急逝した京都商工会議所前会頭で、制御機器メーカー、オムロン(京都市下京区)元社長の立石義雄さん(享年80)の長男郁雄さん(54)が京都新聞社の単独インタビューに応じ、父の最期に立ち会うことができなかったつらさを初めて語った。義雄さんの死去から9月21日で5カ月。院内感染の懸念から、多くの医療機関は今も入院中のコロナ患者との接触を厳しく制限しており、郁雄さんは「患者と家族をつなぐ仕組みが課題だ」と話す。

 義雄さんは13年務めた京商会頭を3月末で退き、4月1日から京都経済センター(下京区)を運営する「京都知恵産業創造の森」の理事長に専念したが、倦怠(けんたい)感を覚え、翌2日には発熱。5日にコロナ感染が判明し、京都市立病院(中京区)に入院した。肺炎の症状が重く、4月21日未明に息を引き取った。

 東京で暮らすオムロン社員の郁雄さんは、入院後の父に一度も対面できなかった。容体を知る手がかりは、主治医から1日1回かかってくる電話報告だけ。「現場の皆さんには自らも不安な中で全力で対応してもらい、感謝の気持ちしかない。だが家族にとっては見えない、分からない、声も掛けられないという状況で、祈るしかすべが無かった」と思い返す。

 スマートフォンには、病床の父の動画がある。人工呼吸器とたくさんの管につながれた痛々しい姿。郁雄さんが医師に頼み込み、送信してもらった。枕元には家族19人のメッセージを録音したICレコーダーを置いた。「お父さん、頑張って」。子や孫の懸命の声援が、集中治療室(ICU)で何度も再生された。「科学的な効果は分からない。でも、父はヤマ場と言われた状況を4回も乗り越えたんです」。さまざまな制約の中で許された片方向のコミュニケーションだった。

 隔離は死後も続いた。亡きがらはすぐに市内の火葬場に運ばれ、一般の遺族がいない夜間に荼毘(だび)に付された。感染予防のため家族は車中で待機し、骨を納めた箱を受け取ったのが父との「対面」だった。「誰にも知られずに逝くのはあまりにもふびんだ。仕方がないと自らに言い聞かせたが、会えない中で父の死を解釈することが難しかった」。郁雄さんは実感を語った。