世界文化遺産「古都京都の文化財」を構成する17社寺城の一つである清水寺は、延暦17(798)年の創建と伝え、平安時代から観音霊場として広く篤(あつ)い信仰を集めています。境内の建物は、康平6(1063)年の火災で全山を焼失したのを最初に、焼失と再建とを繰り返してきました。現在の建物は、文明元(1469)年の戦火後に再建されたものと、寛永6(1629)年の火災後に、徳川家光の命により寛永8年から10年にかけて再建されたものが基本となっています。

 このうち本堂は、斜面上に建ち、正面に「清水の舞台」として広く知られる懸造(かけづくり)の舞台を持つことに大きな特徴があります。また、建物を覆う檜皮葺(ひわだぶ)きの屋根は、「照り起(むく)り」と呼ばれる優美な曲線を持つ寄棟造の大きな屋根と、周囲の張り出し部分の屋根とを巧みに処理した複雑なものとなっています。このような特徴的な姿や建物内部の空間構成などは、創建以来の伝統を受け継ぎながら、たびたびの再建を経ることによって発展してきたものと考えられ、近世の寺社建築を代表するものの一つとして国宝に指定されています。

 ところで、このような木造の歴史的建造物は、定期的な修理を繰り返すことによって現在まで守り伝えられてきました。清水寺本堂も、寛永10年の再建以来、檜皮葺きの屋根葺き替えが約50~60年ごとに、舞台板の取り換えが約15~25年ごとに行われてきたものと考えられます。しかし、江戸時代においてもこの修理費用の捻出が課題となっていて、参詣者からの寄進を募るために、本尊の御開帳がたびたび行われたという記録が残されています。

現在建設中の素屋根。昭和の修理時と同様に、丸太を基本として組み立てている

 明治時代になると、神仏分離と廃仏毀釈(きしゃく)、寺領の国有化などの影響により、伽藍の維持はさらに困難となっていったようで、本堂の舞台板がかなり傷んだ写真が残されています。このような状況の中、明治30(1897)年に制定された「古社寺保存法」により歴史的に価値のある建物を「特別保護建造物」として保護する制度が設けられ、本堂はいち早くこの一つに定められました。そして、その直後の明治32~35年には、屋根葺き替えや舞台板の取り換えを主とする修理が、国からの補助を受け、京都府の指揮監督で進められました。このような修理の進め方は、1世紀を経た現在もほぼそのままの形で引き継がれ、国宝・重要文化財を保存する上で重要なものとなっています。

明治修理前の本堂。舞台板の破損が進み、舞台上への入場を制限している様子が写されている(明治32年撮影)

 その後、昭和39~42(1964~67)年には、再び屋根葺き替えと舞台板の取り換えを中心とする大規模な修理が行われました。この修理では、現場に常駐する京都府の技術職員によって建物に関する詳細な調査が行われ、建物の精密な図面もはじめて作成されました。これらの調査結果と図面は、「修理工事報告書」という形にまとめて都道府県立の図書館などに配布され、誰でも見ることができるようになっています。

 そして現在、清水寺では「平成の大修理」として伽藍(がらん)建物の大規模な修理が行われています。この修理は、清水寺の国宝・重要文化財建造物16棟のうち本堂ほか8棟について、2008年6月から21年3月にかけて順次修理しようとするもので、現在までに7棟の工事が概ね完了しています。

清水寺境内図

 本堂については、檜皮葺き屋根の葺き替えと木部や壁・塗装など破損箇所の部分修理を中心として行うこととし、09年度から檜皮の購入や、舞台の束柱(つかばしら)の根継ぎ補修、舞台下の斜面の崩落防止対策などを順次進めています。そして今年からは屋根葺き替え工事に着手、まずは本堂を覆う形で素屋根と呼ばれる仮設建物の建設を行っています。この素屋根は、修理中の本堂を保護するとともに工事中の足場ともなる建物で、屋根葺き替え工事完了予定の20年3月までは、本堂の外観は残念ながら見られなくなります。しかし、これも50年に一度の珍しい風景として、工事完了後の美しい姿に思いをはせながら眺めていただければと考えています。(京都府教委文化財保護課建造物担当 島田豊)