京都市北区に所在する賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)は、古くより賀茂一族の氏神を祀(まつ)る社であり、平安遷都以降は国家鎮守の神としても広く信仰を集めてきました。現在、本殿と権殿(ごんでん)の2棟=ともに文久3(1863)年建立=が国宝に、他の建造物34棟=寛永5(1628)年建立=が重要文化財に指定されています。境内のそれぞれの建物は、簡素な印象を与えますがそれらの檜皮葺(ひわだぶ)きの屋根がいくつも重なりとても美しい景観を構成しており、何とも言えない優しい印象を与えてくれます。

 神社には、式年遷宮という制度があります。本殿は神様の建物ですから、常に美しい状態に維持することが必要でした。一定期間で建物を一新(造替(ぞうたい))し、常に新しい建物を用意するという考え方です。建築的には、約20年という年月が建物の耐用年数であったとも考えられます。

 さて、ここ上賀茂神社でも遷宮が執り行われてきましたが、江戸時代のその期間は必ずしも一定ではなかったようです。江戸時代最初の遷宮は、寛永5(1628)年に行われ、この時に社殿のほとんどが一新されました。この後は、二十数年から50年を超える期間で7回の遷宮が行われたことが記録からわかっています。本殿と権殿については、その都度建て直されましたが、幕末の文久3(1863)年に造替されたのを最後に今に至ります。現在では、遷宮は21年ごとに行われ、最近では2015年10月に正遷宮が行われました。

現在の檜皮葺きの施工状況。旧塗装は現在掻き落されている=京都府教育委員会提供

 今回京都府が受託して施工している修理は、楼門(ろうもん)や幣殿など8棟の建物です。前回の屋根葺き替えから40年を超え、耐用年数に達していることから、屋根の全面葺き替え工事とその他の傷んだ木部や金具などの修理を行っています。16年から工事に着手し、現在は楼門の屋根葺き工事と塗装工事を行っています。神社建築というと赤や白といった塗装がされている印象がありますが、上賀茂神社で唯一塗装がされている建物が楼門と左右の回廊です。よく上賀茂神社を紹介する写真に写っている門です。

修理前の楼門と廻廊。境内で唯一塗装されている建物(2013年3月撮影)=京都府教育委員会提供

 日本の建物は、色を塗るということを古来行ってきました。赤という色は、魔よけの意味があるという説もありますが、塗装を施すことで木部の保護や、虫害の防止といった目的もあります。赤、白、黄、緑など多彩な色がありますが、これは岩絵の具といって、鉱物からとれる自然の色で、それらを細かくすりつぶしたものでした。奈良の平城宮跡に復元されている大極殿などは、遠目には赤色に見えますが近くで見るとどちらかというと茶色に近い感じを受けるかもしれません。このような古代の赤は「丹土(につち)」といわれ、酸化鉄がその主成分になります。現在「弁柄(べんがら)」といわれる色も酸化鉄が主成分です。

 岩絵の具は細かい粉末であり、水にぬらして塗っただけでは乾いたら落ちてしまいます。そこには、塗膜を接着させる接着剤が必要です。この接着剤に当たるのが「膠(にかわ)」になります。これは、食品などに使われるゼラチンと同じ成分でできています。伝統的な塗装は、岩絵の具とこの膠を混ぜ合わせて行われてきました。文化財の修理も従前からの伝統工法で施工することになっています。自然の材料ですから、現代のペンキのようなものではありませんし、時間の経過とともに剥落してきます。しかし、剥落したらまた塗り直すということも昔から普通に行われてきました。この考え方は、傷んだら修理をするという現在の文化財修理の考え方に共通することです。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)

 上賀茂神社の楼門の赤ですが、正確には「丹(たん)」といいます。色味はオレンジに近い印象がある色です。現在の楼門は、寛永造替時のもので、当初から色が塗装されていました。しかし、自然の材料ですので当時どういった色味の「丹」が塗られていたかは建物自体に残存していないので判明しません。現在の塗装は、昭和50年代に塗り直されたものですが、今回の塗装工事も過去の修理の色の状況を踏まえて工事を進める予定です。楼門自体の工事は、今秋には完了の予定で、屋根の檜皮葺きと塗装が一新された姿を見ていただけると考えています。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 小宮睦)