「屋根裏」について、どのようなイメージをもっているでしょうか。歴史ある建物においては、“暗い”“怖い”、あるいは“お宝が眠っていそう”なんてことも考えてしまいそうです。屋根と天井の間のこの場所、普段は真っ暗でミステリアスな空間です。しかし、そんな屋根裏が明るみに出る機会があります。屋根の葺(ふ)き替え工事です。

 京都市左京区に所在する賀茂御祖(みおや)神社(下鴨神社)ではこのたび、社殿の屋根葺き替え工事が実施されました。工事の対象となった建物は23棟に及び、そのうち本殿2棟は文久3(1863)年、その他の建物は寛永6(1629)年に建築されたもので、いずれも国宝や重要文化財に指定されています。工事は京都府教育委員会が受託して設計監理にあたり、8年の歳月をかけ、今年3月に完了しました。

工事中の供御所の屋根裏の様子。古い屋根材がはがされた瞬間、それまで真っ暗だった屋根裏に光が射す(2015年10月撮影)=京都府教育委員会提供

 屋根葺き替え工事の最初の工程において、古い屋根材がはがされた瞬間、真っ暗だった屋根裏に光が射します。屋根裏が文字どおり日の目を見るのです。それではこの機会に、下鴨神社の社殿の屋根裏を観察してみましょう。

 屋根裏で発見されるものの一つに棟札(むなふだ)があります。棟札とは、建立や修理の記録として屋根裏に保存される木札です。今回の工事では多くの建物で棟札を発見できました。いつ建てられたのか、どんな人が建築に関わったのか、そんなことを細かく教えてくれます。

 屋根裏では建物の構造的な工夫も観察することができます。本殿では、屋根の下にさらにもう一つ、別の屋根がかけられていました。これは神社本殿ではまれに見られる手法で、神様を祀(まつ)る建物の内部には絶対に雨を漏らさないという、古(いにしえ)の大工の気概が感じられます。

 屋根裏のような普段隠れて見えないところの部材の中には、もとは違う場所の部材だったものがしばしば見つかります。細殿(ほそどの)では、屋根を支えている母屋桁(もやげた)とよばれる部材が、かつては縁板(えんいた)を受ける縁葛(えんかずら)という部材であったことが判明しました。過去の修理の際、傷んで見栄えは悪くなったけれど捨てるのはもったいない、と屋根裏に転用したのでしょう。

(左)言社の部材に記されていた落書き(右)東本殿で発見した文久3年の棟札=いずれも京都府教育委員会提供

 また、昔の職人の落書きを見つけることもできました。言社(ことしゃ)の部材に書かれていたのは、「天保五午年/十二月吉日/カなイあんセん/工人橘屋庄七三十一才/サイやを廿六才」というものです。天保5(1834)年、橘屋庄七という31歳の大工が家内安全を祈願して書いたことがわかります。大工仕事の最中に書いたのでしょう、見つからないように、落書きは部材同士の接合面に書かれていました。(・やを)という26歳の妻の名前もしっかり書いてあるところに、180年前の仲むつまじい夫婦の姿をほほえましく想像できます。

 橋殿(はしどの)の屋根裏には、昭和11年(1936年)の修理の際に作製された、曲がった部材を加工するための定規「原寸型板(げんすんかたいた)」が残されていました。これによって、将来部材を取り換える必要が生じたときでも同じ形状の部材を作ることができます。昭和11年の修理は、国宝保存法(文化財保護法の前身)のもと、すでに今日のような文化財保護の理念をもって実施されました。残された原寸型板からは、未来の修理で活用してほしいという“先輩”の思いが伝わってきます。

 これらのものはそのまま未来へ引き継ぎますが、今回の工事で新たに屋根裏に入れたものもあります。

下鴨神社

 言社では、屋根の先端を飾る鬼板(おにいた)という部材が長年の風雨で腐朽していたため、今回の工事で新たに造り替えました。しかし古い鬼板も貴重な歴史資料です。同じ建物の屋根裏に納め、将来にわたって保存することとしました。

 工事が完了した現在、屋根裏はふたたび真っ暗な空間となりました。下鴨神社の社殿の屋根は、ヒノキの樹皮(檜皮(ひわだ))を屋根材とする檜皮葺きです。その屋根は軽快で柔和な曲線を描き、訪れる人々を魅了しています。

 そんな屋根の美しい“表”の顔に対して、“裏”の顔である屋根裏に光があたることは、今やありません。しかしそこには、人知れぬ歴史の痕跡の数々が内包されています。下鴨神社を訪れたとき、そんな屋根裏の世界にも思いをはせてみてはいかがでしょうか。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 村田典彦)