黄梅院は、京都市北区の紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭寺院です。大徳寺山内塔頭の中でも、特に大きな一角を占めています。始まりは春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)が1562(永禄5)年頃に構えた黄梅庵で、それを受け継いだ玉仲宗琇(ぎょくちゅうそうしゅう)が小早川隆景(こばやかわたかかげ)からの寄進を受けて拡充し、黄梅院と改めました。境内には1588(天正16)年建立の本堂、89年建立の庫裏などが立ち並んでいます。

檜皮葺きに葺き替えた本堂(2018年1月撮影)=京都府教委提供

 本堂は近世初頭の禅宗寺院客殿、庫裏は最古級の現存庫裏として価値が高く、重要文化財に指定されています。指定を受けると、さまざまな助成がある一方で、規制や義務が生じることになります。その一つが「現状変更等の制限」と呼ばれるもので、価値を認められた指定時の姿をむやみに変えることのないように制限し、それを変更する際には文化庁長官の許可を受けなければなりません。これがいわゆる「文化財になると建物を自由に使えない」といった風評の一因ともなっていますが、こうした規制が100年近い実績をもつことも確かで、ともすれば簡単に失われてしまう歴史的建造物を現在まで伝えてきました。

 ところで、建造物は使われ方や環境が変わっていくので、それに合わせた改造によって大きく姿を変えている場合が少なくありません。文化財にとって当初の姿は重要な価値の一つなので、修理時の詳細な調査でそれが明らかとなれば、改造された部分を元に戻すことが検討されます。このような過去の姿に戻す現状変更のことを「復原」と呼び、失われてしまったものを元の姿で新たにつくる「復元」と区別しています。どちらも読みは「ふくげん」の同音異義語です。

昭和の修理で本瓦葺きになった本堂(1976年8月撮影)=京都府教委提供

 黄梅院本堂では、この復原を2度行いました。1度目は昭和の修理時、2度目は今回の修理で、どちらも屋根葺(ぶ)き材を変更しています。昭和の修理前は、防火性が高く長持ちすることから、桟瓦で葺かれていました。昭和の修理では、それを当初の姿である本瓦葺きに復原しています。ところが、今回の修理で耐震性能を診断したところ、構造に対して屋根が重く、大地震が起きれば倒壊の可能性があると判定されました。文化財も日常的に使われていますし、公開活用の需要が高まる昨今では、耐震性能の確保は欠かせません。

桟瓦葺きだった本堂(1972年10月撮影)=京都府教委提供

 そこで、耐震補強をめぐって二つの案が示されました。一つは、鉄骨で補強することによって地震に耐えられる構造とし、本瓦葺きを残す案です。当初の姿は残せますが、本堂内部に鉄骨柱が現れることになります。もう一つは屋根を軽い材料で葺く案で、以前と変わりない内部空間を残すことができますが、本瓦葺きを手放すことになります。両案とも甲乙つけがたく、内部に鉄骨が立っても当初の姿といえるのか、復原した本瓦葺きを変えてもいいのか…など、さまざまな議論がありましたが、今回は屋根を軽くして内部空間を残すことになりました。

大徳寺黄梅院

 その大きな理由の一つが、天正の建立から10年後の1598(慶長3)年に屋根を檜皮に葺き替えたという記録が残っていたことです。さらに、昭和の修理時に古い檜皮葺きの一部が発見され、その記録が残されていたことも根拠となりました。

 こうして本瓦葺きよりもずっと軽く、かつて本堂の歴史上に存在していた檜皮葺きに復原しました。一言で「復原」といっても、当初の姿に戻すばかりではないのです。

 黄梅院では、本年3月24日から5月27日まで特別公開が行われますので、この機会にぜひ訪れてみてください。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 赤石憲祐)