知恩院

 知恩院は浄土宗の総本山で、宗祖法然上人が住まわれた東山の山麓に位置します。徳川家の厚い信仰を受けており、徳川家康により、伽藍(がらん)が現在の規模に大きく拡張整備されました。寛永10(1633)年に大きな火災に見舞われ、今回修理を行っている御影堂(みえいどう)(本堂)など、現在見られる建物の多くは、その後寛永18(1641)年にかけて、徳川家光により再興されたものです。

 知恩院の七不思議のひとつ「忘れ傘」で知られる御影堂は、寛永16(1639)年に建てられたものです。境内の中心となる瓦葺(ぶ)きの端正な建物で、法然上人の御影(木像)を安置しています。正面45メートル、奥行35メートル、高さ28メートルと、木造の建物として日本でも指折りの大きさを誇ります。内部は天井が高く開放的で、空間的な一体感が強いのが特徴で、大きな法要の時の雰囲気などは、圧巻です。

 これまで、元禄15(1702)年、安永7(1778)年、明治43(1910)年の3回、屋根、小屋、軒などに大きな修理を受けてきました。今回の修理は、明治以来約100年ぶりのもので、屋根の瓦を全て降ろし、これまで手の及ばなかった、屋根を支える木造の骨組み(小屋組)のゆがみにも修理を加えました。内部では、漆や金箔(きんぱく)などの修理を行っています。今回は、主に瓦屋根について説明します。

小屋組を組み立て中の屋根。大工と比較すると、建物の巨大さがよくわかる。この骨組みが580トンの瓦を支える(2015年6月撮影)=写真は京都府教委提供

 屋根は本瓦葺きという、最も格式の高い葺き方で、主に、平瓦と丸瓦という2種類の瓦を使います。瓦は、建物の規模に見合って大きなものが使われており、平瓦は約40センチ四方の大きさ、約8キロの重さがあります。写真に見るように、瓦同士が大きく重なり合うので、屋根は想像以上に重たいものであることがわかると思います。その他のいろいろな形の瓦を合わせると、その数は約8万5千にのぼり、580トンという途方もない重量になります。屋根の中に所狭しと組まれた小屋組は、瓦屋根の大きな重量を支えるためにあるのです。

本瓦葺きの構成。平瓦を重ね並べて、丸瓦を被せる=写真は京都府教委提供

 瓦を降ろすと、工事現場のあちこちから、カンカンカンという音が聞こえてきます。これは、瓦を金づちで軽くたたく音で、その響き具合で、目に見えない瓦内部の傷みがないかを厳しく検査しているのです。これに合格した瓦は、再び屋根に載せることができます。今回の工事では、約3割の瓦を再使用しました。瓦は焼き物なので形が一様ではありません。特に古い瓦はそのばらつきが大きく、それらを上手に組み合わせて、雨漏りを起こさぬ最もよい状態に葺き上げます。多くの手間と優れた技能が必要となります。

(左)寛永15年の篦書のある瓦(中) 「南無阿弥陀仏」の篦書のある瓦(右) 人物像の篦書のある瓦

 (瓦は見やすくするために取り外し後、白墨を入れています)=写真は京都府教委提供

 文化財の修理では、建物を直すと同時に、「調べる」ことも重要です。そのひとつとして、すべての瓦の時代分けをしました。その結果、建立当初の瓦が約8割、大切に使われ続けてきたことがわかりました。明治修理の補足瓦は約1割でした。

 瓦の原料は粘土ですが、これがまだ柔らかいうちに職人さんが篦(へら)で文字などを記すことが稀にあります。一種の落書きですが、年号が刻まれたものは、この上なく貴重な資料となります。「南無阿弥陀仏」の文字や、人物像を描いたものなども見つかりました。当時の職人さんの気持ちや遊び心などが時を超えて感じられます。小屋の木部では、銃を構えた二人の兵隊を描いた落書きが見つかりました。これは、明治修理の大工さんのものですが、当時は日露戦争の直後で、戦争がとりわけ人々の身近にあったことが直接的に伝わってきます。

 屋根の瓦も葺き上がり、いよいよ、建物を覆う素屋根(すやね)の解体に取りかかります。大きな瓦屋根がみなさんのお目にかかる日も近いです。修理を終えた屋根が、末永く御影堂を守り続けてくれることを願っています。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 浅井健一)