京都祇園・花見小路の南端に伽藍(がらん)を構える建仁寺は、京都における最初の禅宗寺院です。鎌倉時代の建仁2(1202)年、日本に初めて禅宗を招来した明庵栄西(みんなんようさい)(1141~1215年)を開祖とし、鎌倉幕府2代将軍源頼家を開基として創立されました。室町時代に足利義満によって京都五山が定められると第三位に列せられました。

瓦葺の方丈
1934年の室戸台風で倒壊した方丈

 最初の伽藍は創建後程なくして整えられたようですが、詳細は分かっていません。また、度々火災に見舞われており、天文21(1552)年の兵火で伽藍・塔頭のほとんどが焼失しました。これ以前に遡(さかのぼ)る建築は、鎌倉時代後期の建立とみられる勅使門(矢の根門)が境内の南端に残るのみで、現在、境内で目にする法堂や庫裏(いずれも府指定有形文化財)などは江戸時代以降に再興されたものです。

 現在の方丈は、安土桃山時代に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)の援助により安芸安国寺(現不動院)の方丈を移築したものと伝えられ、「方丈」の額銘に文明19(1487)年の記があることから、この時に建築されたものと考えられています。

 その後、享保21(1736)年に大規模な修理が行われ、こけら葺(ぶき)であった屋根が桟瓦(さんがわら)葺に改められたとみられます。これと前後して、境内の他の建物のうち享保15(1730)年に庫裏を、寛保元(1741)年に浴室を瓦葺に改めたことが明らかになっていて、この時期にこけら葺から瓦葺へと屋根葺材が集中的に変更されているのが興味深いところです。また、明治28(1895)年にも大規模な修理が行われた記録が残っています。

 昭和9(1934)年、室戸台風により建物が倒壊しました。これは、こけら葺だった屋根が瓦葺に改造され、屋根が重くなったところを強風で煽(あお)られたため倒壊したと考えられています。同13年にかけて屋根の軽量化を図ったうえでの復旧工事が行われました。実はその際に屋根を銅板葺に改める計画でした。建仁寺の周辺には料理屋や町屋が密集し、炊事等に使う燃料(薪)の灰が火の粉となって空を舞い、火災発生の危険度が高かったためです。しかし、時代は戦時体制となり銅使用統制が敷かれ実施不能となったため、こけら葺で復旧されました。

 昭和37(1962)年に屋根葺替の時期を迎え、この時に屋根は火災予防上の観点から銅板葺に改められました。

こけら葺に復元された方丈 =写真はいずれも京都府教育委員会提供
2010年の修理が始まる直前に撮影された銅板葺の方丈
建仁寺

 その銅板葺屋根が、50年近く経過した2010年に再び葺替の時期を迎えました。以前と同様に寺の周囲には料理店や住宅が密集していますが、燃料は薪からガス・電気へと変わってきています。その結果、日常生活から発生する火の粉による火災の危険度は格段に低くなりました。周辺環境が大きく変化したため、今回の屋根葺替修理では最初の姿に戻すことになり、50年ぶりにこけら葺の姿となりました。

 こけら葺は、木材を割って薄い板にし、それを竹釘で止めながら葺き上げていく、日本独自の屋根の葺き方です。今回は、サワラ材の厚さ3・6ミリ、長さ30センチ、幅9センチ以上の柾(まさ)取した手割り板を使って屋根を葺き上げました。

 屋根葺替を主とした今回の修理は2010年11月から35カ月の工期で行われ、13年9月に竣工し、翌年の10月に落慶法要が営まれました。

 建物の修理と並行して、防災設備が改修されました。火災発生の危険度が低くなったとはいえ、万一火災が発生したときの備えとして、方丈周囲での消火設備である放水銃や消火栓の増設と貯水槽の拡充等が図られました。

 このように建仁寺方丈は、災害から守るために、その時々で可能な方策を取ってきた先人の思いが込められている建物であることが、今回の修理で再確認されました。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 吉田理)