久津川古墳群(宇治市・城陽市)

 JR奈良線城陽駅の北、住宅街の中で、樹木の生い茂った小高い丘が車窓に迫ります。この小高い丘は、今からおよそ1500~1600年前に造られた久津川車塚古墳で、久津川古墳群で最大規模を誇る前方後円墳です。

 久津川古墳群は、宇治市南部から城陽市北部にかけて広がる京都府内最大の古墳群です。古墳時代の前期から後期にかけて100基以上の古墳が造られ、中期に最盛期を迎えました。

 中でも久津川車塚古墳は、中期前半に大首長の墓として造られます。二重の周濠(しゅうごう)を備え、墳丘長180メートル、外濠を含めた全長は272メートルを測ります。戦前に旧国鉄奈良線を敷設する工事に際し、後円部から竜山石製の長持形石棺が見つかり、銅鏡・玉類・武器・武具などの豊富な副葬品が出土しました。このうち7面の鏡は、重要文化財に指定され、現在は泉屋博古館(京都市左京区)で展示されています。また、長持形石棺も重要文化財に指定され、京都大学総合博物館(同)で見ることができます。この古墳は府内でも最大級の規模を誇り、長持形石棺や豊富な副葬品の在り方が河内平野に造られた大王墓に共通することから、その被葬者がヤマト王権の地域支配の一翼を担っていたことを示しており、城陽市教育委員会によって整備に必要な資料を得るための発掘調査が実施され、着実に成果が得られています。

久津川車塚古墳=1991年1月撮影(城陽市教委提供)

 このほか、丸塚古墳や梶塚古墳などが久津川車塚古墳とほぼ同時期に造られます。丸塚古墳は帆立貝形前方後円墳で、周濠を含めた全長は104メートルを測ります。墳形、墳丘規模などから、大首長の権力を支えた最も有力な人物が葬られていると考えられます。また、梶塚古墳は久津川車塚古墳の外濠に重なるように造られていることから、久津川車塚古墳の被葬者を補佐した有力者が葬られていると考えられます。その後、この地域には、次の大首長墳である芭蕉塚古墳や、久世小学校古墳、青塚古墳が造られます。芭蕉塚古墳は、墳丘長114メートル、周濠を含めた全長は161メートルを測る大型の前方後円墳です。墳丘部分と周濠・外堤の一部が保存されています。久世小学校古墳は、直径27・5メートルを測る造出し付きの大型円墳、青塚古墳は一辺33メートルを測る大型方墳です。

久津川車塚古墳の造り出し=2015年9月撮影(城陽市教委提供)

 久津川古墳群が広がる城陽市は、昭和40年代頃から京都、大阪都市圏の住宅都市として宅地開発が急速に進み、丘陵地帯も埋め立て用の土取りのため、大規模に削られていきました。こうした開発は久津川古墳群にも影響を及ぼし、多くの古墳が消滅の危機を迎えました。そうした中、京都府教育委員会や城陽市教育委員会をはじめ関係機関、関係者は、文化財の保存と開発行為との調整に尽力しました。1963(昭和38)年に青塚古墳が開発により削られようとする際には、現地に駆けつけ発掘調査を実施し、一部が現地に保存されました。久世小学校古墳は、1969(昭和44)年に小学校の建設が計画された際に、地元住民からの強い要望もあり校内に保存されました。このほかに、上大谷古墳群や下大谷古墳群、尼塚古墳なども開発から守られ、公園の中に保存されています。こうした先人たちの努力により、貴重な文化財が後世に引き継がれています。

丸塚古墳=1991年1月撮影(城陽市教委提供)

 久津川車塚古墳と丸塚古墳は、1979(昭和54)年国史跡に指定され、城陽市により保護と公有化が図られています。また、2016年10月には、古墳時代中期の権力構造を示している点が評価され、芭蕉塚古墳と久世小学校古墳が追加指定され、「史跡久津川古墳群」として、府内で2例目の古墳群としての指定となりました。

久世小学校古墳=2013年12月撮影(城陽市教委提供)

 府立山城郷土資料館(木津川市)には、久津川車塚古墳から出土した長持形石棺の複製が展示されています。また、五里ごり館(城陽市歴史民俗資料館)には、市内の各古墳から出土したさまざまな遺物が展示されています。秋の一日、古墳散策と合わせて是非訪れてみてください。(京都府教委文化財保護課記念物担当 奈良康正)