国宝 雲中供養菩薩像 南20号

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 平等院(宇治市)の創建は1052年。日本では末法元年、仏の教えが廃れ、修行者も悟る者もいなくなるとされた時代だ。阿弥陀を本尊とする仏堂が盛んに造営された。「当時の人が、世界の滅亡などではなく、自分が救われなくなることを恐れた点が興味深い」と平等院ミュージアム鳳翔館の館長である神居文彰住職は指摘する。

 同館は、国宝の扉絵「九品来迎図」など平等院内部の装飾を復元で見せる。この世の極楽浄土とたたえられたきらびやかさがイメージできる。

 創建時、庶民は川向こうから平等院を見ただろうと神居住職は想像する。西日に輝く美しい寺院は、現世の向こうにある希望を想起させたのではないか。当時の政治は人々に徳を施すことが重視された。末法の世に藤原氏らの為政者は、どう希望を抱かせるか考えたのだろう。彼らの思いが平等院に結実し、多くの堂宇は失われたが、鳳凰堂は変わらず存在する。

 展示のメインは鳳凰堂から移された国宝雲中供養菩薩(ぼさつ)像群だ。膝を曲げ、足先を軽く上げてステップを踏む瞬間のリズミカルな姿など、いきいきした造形が国内外の人を引き付ける。

 2013年の展示「ほとけにふれる」では手で触れられる模刻の像を出展した。目の不自由な人が来場した理由を「きれいだからです」と答え、神居住職は「きれいだという認識を持った上で来られた。そのことに心を動かされた」という。目で見る以外に、多様な鑑賞方法があるのではと考えさせられた。

 平等院はかつてランドマークでもあった。戦国期の山城国一揆では、国衆や農民が平等院に集まり、自治に関する取り決めを行った。宇治の古い街道筋には門が立ち、南都有事の際には平等院への道を閉ざす役割を担う家もあったという。

「洛外図屏風」(平等院浄土院所蔵)

 疫病の際には魔よけ札を頒布するなど民間信仰の拠点ともなった。「地域とつながって生きてきた」と神居住職は言い、15年の「宇治茶摘之画」、16年「洛外図屏風(びょうぶ)」でかつての宇治を示す作品を展示している。

 異なる宗教の人から「なぜ偶像を拝むのか」と質問されることもある。そこから始まる議論が大切だ。「多様な価値観を認め合う意義を伝えたい」と神居住職は願う。

 

 平等院ミュージアム鳳翔館 建物は地下1階、地上1階。境内の小高い部分にあり、創建時からの景観を邪魔しないよう配慮している。雲中供養菩薩の模刻の展示は東京でも行い、当時の皇后(現・上皇后)さまが鑑賞された。皇后さまは、先に自分のハンカチを出して手を拭き、その後、まずは菩薩の足元からそっと触れていった。人となりが伝わるようで、とても印象深い姿だったという。宇治市宇治蓮華。0774(21)2861。

※写真は全て(C)平等院