「龍」は中国で生まれた想像上の動物です。龍と聞いて思いつくのはどのような姿でしょうか。中国では九つの生物に似ているとされており、角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、目は鬼、項(うなじ)は蛇、腹は蛟(みずち)、鱗(うろこ)は鯉(こい)、爪は鷹(たか)、掌(たなごころ)は虎、耳は牛という姿で表現されます。こうした龍の姿は後漢から唐王朝期には成立していますが、その起源となると紀元前17世紀の商王朝以前にさかのぼるようで、その形態もさまざまだったようです。

金銅装環頭大刀の柄頭(つかがしら)=京丹後市教育委員会提供

 中国由来の龍ですが、京都府内にも龍に関連する場所が各地にあります。四神相応の都とされる平安京は、鴨川を青龍に見立てていると言われています。丹後地域の伊根町にある龍穴は竜宮城に通じているとの伝承があり、浦島伝説とも密接に関連しています。また、京丹後市久美浜町では、一遍上人が久美の浜で念仏を唱えると海中から龍が出現した、という伝説が国宝「一遍聖絵」に描かれています。この龍伝説のある久美浜町で昭和56(1981)年に発見されたのが、湯舟坂2号墳、そして龍を装飾した金銅装環頭大刀(こんどうそうかんとうたち)です。

金銅装環頭大刀全体(府立丹後郷土資料館提供)

 湯舟坂2号墳は、今から約1400年前の古墳時代後期の横穴式石室をもつ古墳です。発掘調査前の古墳は、石室の天井石が失われ石材が数石露出しているのみで、保存状態は良くないと考えられていました。ほ場整備に先立って発掘調査が行われたところ、周溝のめぐる直径約18メートルの墳丘をもつ円墳であり、石室は巨石を用いた全長10・6メートルもの規模をもつ丹後地域でも最大規模のものと判明しました。そして、当初の予想を大きく覆し、未盗掘の床面からは金銅装環頭大刀をはじめ約470点に及ぶ多彩な副葬品が出土したのです。

 金銅装環頭大刀とは、柄(つか)の端に環状の飾りを取り付け、柄や鞘(さや)に金メッキを施した金具で覆った豪華な大刀のことです。複雑な文様を施した環状の飾りの中には、玉をくわえる龍が二対表現されています。こうした環頭大刀を「双竜式環頭大刀」と呼びますが、通常の双竜式環頭大刀の龍は一対なのに対して、湯舟坂2号墳出土品は内側にさらに一対の子龍を表現しているのが特徴的です。類例は過去にさかのぼっても国内2例目であり、現存する唯一の事例になります。さらに鞘も含めて金の輝きがよく残る点からも、国内を代表する優品です。この全長120センチを超える金銅装環頭大刀以外にも、銀装の大刀や鉄鏃(てつぞく)などの武器類、鉄製の馬具類、銅鋺(わん)、金環や玉などの装飾類、須恵器などの土器類が出土しており、一括して昭和58(1983)年に国重要文化財に指定されています。また、当初開発される予定だった古墳は、府指定史跡として保存されることとなりました。

湯舟坂2号墳
整備された古墳の石室
遺物の出土状況。大刀は奥の壁際にあった=京丹後市教育委員会提供

 出土品の中で他に注目できるのは、仏具として用いられた銅鋺です。同じく仏具として用いる水がめ形の須恵器も出土していることから、被葬者は仏教と関わりのある人物であった可能性があります。希少な金銅装環頭大刀や仏具は、大和政権から入手したものと考えられており、政権とのつながりをもつ有力な首長が存在したことを示しています。

 輝く龍で飾られた大刀をはじめとする多量の副葬品の出土は、発見当時大変な盛り上がりとなりました。多くの取材ヘリコプターや車が行き交い、普段静かな谷は3千人に近い見学者でにぎわいました。現在、発掘当時の喧騒(けんそう)は落ち着いていますが、古墳はきれいに整備されて巨石を積んだ石室を自由に見学できるようになっています。また、古墳の近くには竪穴住居などを復元した古代の丘公園も整備されており、古代の雰囲気を味わうことができます。

 重要文化財の金銅装環頭大刀は府立丹後郷土資料館で保管されており、不定期ですが光り輝く実物を間近で見ることができます。発掘調査の成果が地域を変えるきっかけとなることを湯舟坂2号墳は物語っているといえます。(京都府教育庁指導部文化財保護課記念物担当 中居和志)