55年前の8月19日に最後の住人一家が離村し、廃村となった茨川集落跡。茶屋川のほとりには天照神社が残り、秋祭りが続けられてきたが、御神体は村外に移される(8月19日、東近江市茨川町)

55年前の8月19日に最後の住人一家が離村し、廃村となった茨川集落跡。茶屋川のほとりには天照神社が残り、秋祭りが続けられてきたが、御神体は村外に移される(8月19日、東近江市茨川町)

廃村に残る筒井さんの実家は大学の山小屋になっている。周囲には石垣や石段が連なり、トチノキやクルミが実を付けていた

廃村に残る筒井さんの実家は大学の山小屋になっている。周囲には石垣や石段が連なり、トチノキやクルミが実を付けていた

 川沿いに朽ちかけた鳥居が立つ。瀬音とともに蝉(せみ)時雨が響く。鈴鹿山脈の谷奥。滋賀県東近江市の茶屋川源流にある茨川集落跡は今夏、廃村から55年がたった。


 薪炭や石炭が電気やガスに取って替わった高度成長期の燃料革命。炭焼きが盛んだった集落は、その最中に過疎化した。1950年代には8軒を数えたが、65年3月に小学校がなくなり、8月に最後の家族が離村した。


 今も神社や家屋が残る。散乱する瓶や器が生活の痕跡を伝える。電気もガスもない山奥。そこに自然に寄り添う暮らしがあった。


 「春は山菜。秋はキノコ。川で釣ったイワナも食べた」。最後の住人で9歳まで過ごした大学教員筒井正さん(64)=愛知県清須市=の記憶は鮮明だ。風呂や料理の水は川でくみ、木枝を燃やして沸かしたという。


 山に生かされた営み。信仰はあつく、廃村後も神社の祭りは続けられた。だが、関係者が年を重ね、訪問も負担に。御神体は今秋、村外に遷座する。


 筒井さんは「茨川の歴史を残したいが、建物は朽ち、生きた証しはなくなる。社会の変化とともに人々の記憶からも消えるだろう」と惜しむ。


 水源の村は人知れず、自然に帰ろうとしている。