1997年に全国で初めて強制不妊手術の被害を名乗り出た飯塚さん(左)。仙台地裁での判決前、同じ被害者の東京都の男性が寄り添っていた=5月28日、仙台市

1997年に全国で初めて強制不妊手術の被害を名乗り出た飯塚さん(左)。仙台地裁での判決前、同じ被害者の東京都の男性が寄り添っていた=5月28日、仙台市

 優生保護法(1948~96年)下での強制不妊手術問題の取材を始めた2016年春以降、被害者の言葉を大切にしてきた。子どもを産み育てるかどうかを自分で決められなかった無念を理解するのはもちろん、政府や国会、都道府県の対応が救済から程遠い中、被害者が尊厳を回復するための手掛かりがあると思うからだ。

 仙台地裁は5月、同法は幸福追求権を定めた憲法13条に違反し無効と認める一方、国への損害賠償請求を棄却する判決を出した。判決後、原告の一人で被害を22年間訴えてきた宮城県の70代の飯塚淳子さん(仮名)は「人の人生を無理やり奪った責任が問われないなんて…。もう生きる気力がなくなった」「国に謝罪してもらいたいです」と言葉をしぼり出した。

 飯塚さんは16歳の時、何も告げられないまま職親に病院に連れて行かれた。納得できず、県や仙台市に情報公開請求して「軽症魯鈍(ろどん)、優生手術の必要を認められる」などと記載された多くの資料を入手したが、政府は「当時は適法」として責任を認めてこなかった。手術に起因する心身の不調は現在も深刻で、「優生保護のことが頭から離れず苦しい毎日です」と嘆く。

 北海道の小島喜久夫さん(78)は昨年12月、奈良市で講演し、「やんちゃ」だったという19歳の頃に断種された状況を語った。精神科病院で医師の診断も受けていないのに、手術前に看護師は「統合失調症で障害者だし当たり前だ」と言い放ったという。「不良な子孫の出生防止」を掲げた同法下での手続きのずさんさが浮かび上がる。

 2人とも国の謝罪を求めていて、理不尽な断種の経緯に悔しい思いをしている共通点がある。同法に基づく不妊手術を受けた約2万5千人のうち約3千人の個人記録しか都道府県に残っておらず、被害の全容解明は難しいが、政府や都道府県は現存資料の分析や関係者からの聞き取りによって同法を検証すべきだ。

 4月に成立した被害者への一時金支給法改正も急務だ。2月に掲載した連載「隠れた刃」で手話で証言に応じた聴覚障害のある女性は、自身と夫の家族から「聞こえない子どもが生まれたらどうするのか」と中絶を強いられた半世紀前を振り返り、「聞こえる人に逆らえなかった」と顔をしかめた。昨年に優生保護法の存在を知り、家族の背後に国がいたことが分かったが、長年誰にも言えず自分を責めてきたという。

 優生保護法は強制不妊手術だけでなく優生思想に基づく中絶も認めていた。女性の悲しみに象徴されるように、本人の自由意思によらない中絶は明らかな人権侵害だが、一時金支給法は中絶を対象外とし放置している。同法を巡り、被害者や支援者団体から一時金額(320万円)の低さや被害を償う趣旨ではないことなどにも批判が出ている。国会や政府は、より被害者の立場に立って改善してほしい。被害者は高齢でこのままでは手遅れになる。