アーネスト・フェノロサが受戒した際の表白文と法明院の滋野敬宣住職(大津市歴史博物館)

アーネスト・フェノロサが受戒した際の表白文と法明院の滋野敬宣住職(大津市歴史博物館)

 明治時代に、日本美術の復興に尽力した米国人アーネスト・フェノロサ(1853~1908年)が仏教の戒律を受けた際の「表白文(ひょうびゃくもん)」が、大津市の園城寺(三井寺)法明院で見つかった。大津市歴史博物館が20日発表した。専門家によると、フェノロサが受戒したことを裏付ける初めての物証という。

 フェノロサは1885年に親交の深かった桜井敬徳法明院住職から「菩薩(ぼさつ)戒」の戒律と「諦信(たいしん)」の法号を授かった。共通の知人で東京国立博物館の初代館長だった町田久成の東京の邸宅で儀式をした。

 大津市歴史博物館は昨年11月、法明院の屋根裏にあった2千点を超える古史料の調査を始めた。その中で「諦信」の記述がある表白文(縦39センチ、横47センチ)を見つけた。

 表白文は戒律を授ける僧侶が読み上げるもので、桜井住職の筆跡という。「諦信が菩薩戒を受けることを求める」などと書かれている。鯨井清隆学芸員は「良質な紙で、儀式本番で使われたのだろう」と話す。

 愛知学院大の井上瞳准教授(近代日本美術史)によると、フェノロサの受戒については自身や町田が著した文書などに記述があるが、これまで直接証明する史料はなかった。

 井上准教授は「フェノロサが日本美術だけでなく、仏教にも傾倒していたことが分かる証拠で、大変貴重だ。仏教徒としてはあまり知られておらず、脚光を浴びる契機になれば」と話している。

 法明院にはフェノロサの墓がある。今回見つかった史料は、3月2日に同博物館で始まる企画展「フェノロサの愛した寺 法明院―三井寺北院の名刹―」(大津市、京都新聞など主催)で展示される。有料。