福島第1原発事故に対する国、東京電力の責任は、司法判断として定着する流れだ。

 福島県から神奈川県に避難した住民らが起こした訴訟で横浜地裁は、国と東電に損害賠償を命じる判決を言い渡した。

 全国の同種訴訟約30件のうち8件目の判決で、国の責任を認めたのは、京都訴訟を含めて5件になる。

 事故につながる巨大津波を予測できなかったという国の主張は、判決で退けられ、こうした抗弁はもはや通用しない。対策を怠った責任を、国や東電は逃げずに受け止めるべきだ。

 原告はふるさとと生活基盤を奪われ、避難を強いられ、遠く神奈川で暮らしていることを、忘れてはいけない。

 原告が置かれた過酷な状況からいえば、国の責任を認めたとはいえ、賠償を命じた金額は原告の思いに十分応えたとはいえまい。

 勝訴の喜びの中でも、「賠償額は喜べない」「失ったものを過小評価している」と原告から不満の声が聞かれた。

 原告175人が求めた慰謝料など計約54億円に対して、賠償は152人に計約4億1900万円の支払いを命じたにとどまる。残念だが、これまでの訴訟でも、原告からみれば賠償額を低く抑えた判決が続いているのが現状だ。

 避難区域によって賠償範囲を定める国の「中間指針」が、避難者の現状に合っていないから、訴訟が相次いでいるといえよう。

 判決で、指針に基づく賠償が限度とは言えない、と賠償を上積みしたのは当然だ。

 指針では、放射性物質のリスクから避難を余儀なくされているのに、区域外からの「自主避難者」だと、慰謝料の対象にならない、あるいは低額に抑えられる。裁判に不当と訴えるしかないのだ。

 期待されての司法の判断だが、ふるさと喪失の損害を認めても低額の評価で、避難者の思いからは遠い。賠償の対象期間が短いとの指摘もある。

 事故から8年を迎えようとしているのに、これからも裁判が続く。来月には千葉、松山の地裁で判決がある。

 早急な救済をめざした中間指針では対応し切れない限界が、裁判で明らかになっている。東電とともに国の責任を認めた、これまでの判決を重く受け止め、国は指針の改定に動くべきだ。

 国は避難者と裁判で争うのではなく、生活支援するのが本来であるはずだ。