近松門左衛門の「曽根崎心中」で、主人公の運命を変えるのが、はんこである。

 徳兵衛<目の前でおぬしが判を押したぞや>

 九平次<二十五日に落とした判を二十八日に押さりょうか。おれをねだって銀取ろうとは>

 大金をだまし取られた徳兵衛は、遊女お初と心中の道行きに追い込まれる。

 江戸期に入って、はんこが庶民の間に浸透していたことがうかがえる場面だ。九平次は印判を失ったと<お町衆へもお届け>したと突き放している。すでにはんこを名主や町役に届け出る印鑑帳が作られていたという(久米雅雄「はんこ」)。

 日本の社会、生活文化にしっかり根付いているはんこに、いま逆風が吹いている。

 新型コロナウイルスの感染拡大で在宅勤務が増え、はんこを押すために出勤するのは不合理といった声が聞かれる。さらに菅義偉政権になり、押印の原則廃止方針が全省庁に出された。

 コロナ禍の中で、一気に「脱はんこ」が進められようとしている。あまりに急激だと、行き過ぎや混乱が起きやすい。まずは落ち着いて利点、欠点を見定めることが肝要だろう。

 ビジネスの世界では、テレワークの広がりを追い風に、インターネット上の電子署名が増えているそうだ。スタンプ印の大手メーカーでも電子印鑑を開発している。

 国内外で電子契約が普及してきており、電子認証の安全性を高める必要がある。

 一方、政府のはんこ原則廃止方針は波紋を呼んでいる。行政への申請で押印が必要なのは1万1千種超。このうち印鑑証明や銀行印が要るものを除いての廃止という。ところが、「はんこ狩り」という不穏当な言葉が出回っている。

 いずれにしてもはんこを悪者にせず、むだな手続きや決裁の多さを問題にすべきだ。やたらと決裁印を並べるのは責任の所在をぼかすためではないか。

 明治期に、はんこか自筆署名かで一大論争があったそうだ。維新政府は西洋流のサインを取り入れようとしたが、はんこ重視勢力の抵抗で併用することになった。しかし、後にサイン不要の法案が帝国議会で可決されて決着がついた。

 それ以来、はんこ主義ともいえる社会になった。出生・結婚・死亡など人生の節目や生活、経済活動で押印が求められる。これほどはんこが使われる国は、世界に類がないそうだ。

 その意味では大きな転換期なのか。早くも婚姻・離婚届の押印廃止、オンライン化が検討されている。自治体では8割近くが行政手続きのはんこ廃止の方針を決めたり、検討したりしているという。

 認証のデジタル化は利便性が高く、広がっていくに違いない。しかし、特別定額給付金のオンライン申請では、電子署名でつまずく人が見られた。デジタル化をただ進めるだけでは済まない。

 近松門左衛門の時代から、人生ドラマに切り離せないはんこである。悪用されずに信用性が高く、だれもが簡単に使える。はんこの未来形を考えたい。