「構内を歩いても、自由の空気の濃度が薄くなったように感じます」と語る杉本さん(京都市左京区・京都大)

「構内を歩いても、自由の空気の濃度が薄くなったように感じます」と語る杉本さん(京都市左京区・京都大)

京大的文化事典

京大的文化事典

受験シーズンの風物詩にもなっている「折田先生像」。台座や、当局が掲出した注意看板のパロディーまでをセットにした造形物として、毎年登場している。(2018年)

受験シーズンの風物詩にもなっている「折田先生像」。台座や、当局が掲出した注意看板のパロディーまでをセットにした造形物として、毎年登場している。(2018年)

2019年に出現した「折田先生像」

2019年に出現した「折田先生像」

2020年にお目見えした「折田先生像」

2020年にお目見えした「折田先生像」

 張りぼての折田先生像、そこかしこに出現する「やぐら」や「こたつ」、あるいは西部講堂や吉田寮といった自治スペース…。京都大のキャンパスにあふれる「へんてこ」な風景、自由な空間はいかにして醸成されたのか。京都在住のライター杉本恭子さんの著書「京大的文化事典 自由とカオスの生態系」は、約50人の学生、教職員、卒業生への取材を通し、独特の文化が生まれた背景をひもといていく。

■タテカン規制や吉田寮訴訟 自由の校風、消滅の危機

 事典と銘打ち、場所や現象ごとに章立てしているが、順に読み進めると「京大的文化」の土壌が築かれた過程が見えてくる。自由過ぎる教授たちが闊歩(かっぽ)した「教養部とA号館」、1969年の京大闘争を経て運動と文化を融合させた「西部講堂」。一見バラバラの事象は、実はひとつの水脈に連なっている。

 序章は「折田先生像と『自由』」。三高の「自由の校風」から書き起こし、毎年受験シーズンに初代校長・折田彦市の銅像があった場所に姿を現す張りぼて像にフォーカスする。

 折田先生像へのいたずらは、88年に機動隊の学内立ち入りへの抗議として、銅像が赤く塗られ「怒ってゐる」と添え書きされたことに始まる。いつしか銅像アートとして定着し、97年に銅像が撤去された後も、アニメキャラクターやゆるキャラをモチーフにした張りぼて像の出現が続く。毎年、何者かが設置し、タイミングを見計らうように大学側が撤去する。「設置をしたい学生と、それを撤去したい京大当局。一年に一度、双方の意志を確認することで、対話している。非常に高度なコミュニケーション」と分析する。

 こうした当局と学生の間の「あうんの呼吸」は、ほかでもみられる。時計台前に丸太で「やぐら」が組まれたり、百万遍の石垣の上にカフェをつくったり。大学の管理を離れ、学生が主体的に利用を決める「自主管理空間」もキャンパスの至るところにある。当局は、時には介入もするが、基本的には自由、そして対話を尊重してきた。

 ところが近年、タテカンの設置が規制され、吉田寮をめぐっては旧棟などの明け渡し訴訟にまで発展。対話の文化は危機にひんしている。「ミラン・クンデラは『権力にたいする人間の闘いとは忘却にたいする記憶の闘いにほかならない』と書いている。当たり前にあるものだと思っていた自由が奪われる前に、私たちの記憶をたどり、京大的な文化、場所の意義を語り直す必要がある」。自身も90年代、同志社大での学生時代、自由の空気を吸った一人として執筆を決意した。

 さまざまな文化現象や自治スペースに関わった人を訪ね、「言葉によらずに共有され、受け継がれてきた文化を言語化する難しさ」を感じながら1年半かけて取材を重ねた。「一人ひとりが関わってつくられてきた場であるがゆえに百人百様の見方がある。多様な場を多様なままに書ける」ことも、事典という体裁を選んだ理由だ。

 本の帯には「最後(!?)のアジール(自由領域)」とある。「社会の枠組みや肩書から少し離れて、人と人がきちんと出会える場所。自分たちのことは自分たちで決め、一緒に作り上げていくことができる領域。そういう場は京大に限らず、誰もが今いる場所から始めることができるはず」と杉本さんは語る。「京大を志望する人の必読書にもなって、『こんなこともできるんや!』と思ってほしいですね」と笑う。

 「京大的へんてこ」の一側面を体現する作家森見登美彦さんのインタビューや、元総長の尾池和夫さんの寄稿も収める。「京大的文化事典」はフィルムアート社刊、1760円。