須弥壇や礎石抜き取り穴が新たに確認された西寺跡の発掘現場(22日午後2時4分、京都市南区)

須弥壇や礎石抜き取り穴が新たに確認された西寺跡の発掘現場(22日午後2時4分、京都市南区)

 平安京の玄関口に建てられた官寺「西寺(さいじ)」跡(京都市南区)で、中心建物・講堂の須弥壇(しゅみだん)跡とみられる土壇が見つかったと、市文化財保護課が22日発表した。須弥壇跡は仏像を安置した最中心部に当たり、同じ平安時代初期に建てられた東寺講堂に比べて東西幅が狭く、違いも見受けられる。平安初期の建物や仏教の在り方を考える遺構になるという。

 見つかった須弥壇跡は南東部の一角(東西4・2メートル、南北3・7メートル)とみられる。高さ1メートルと想定される土壇のうち、床面から0・35メートル分が残るほか、外縁に石を抜き取った溝(幅0・8メートル)があり、凝灰岩の石組みで化粧していた。

 さらに、須弥壇跡の東側には南北を分かつ建物中心線に置かれた礎石の抜き取り穴があった。これを含めた礎石穴5カ所(各直径2メートル前後)の配置から、建物柱がおおむね4・5メートル間隔で配されたことが分かった。これにより、講堂の大きさは前年度調査で判明した幅(38・5メートル)に加え、奥行きが25メートルになることが新たに確かめられた。

 市文化財保護課は「建物の柱間は平安宮『豊楽殿』と同じ間隔と分かり、格の高い建物があったことを裏付ける」としている。

 同じ伽藍(がらん)配置で京の玄関口に建てられた東寺の講堂(幅42・4メートル、奥行き23メートル)と比べると、西寺では柱間が0・6メートル長く、全体の奥行きも2メートルほど上回る。対して、須弥壇については東寺が7・5メートル長い幅24・5メートルに達し、建物の幅も3・9メートル広くなる。

 市によると、奈良時代の東大寺講堂に千手観音など3体があったとする記録を踏まえ、西寺に三尊像や四天王像があった可能性もあるという。京都産業大の鈴木久男教授(考古学)は「須弥壇は空海が21体もの仏像で真言密教の世界を示すため、東寺がより広くなったようにみえるが、西寺の規模も予想以上に大きい。国家鎮護を担った奈良仏教の流れに加え、当時は先端的だった密教の影響も受けつつ、仏像が配されたのではないか」とみる。

 西寺の範囲を確認するため、市が講堂跡に当たる現・唐橋西寺公園内の105平方メートルを9月から調べている。現地説明会は行わない。

■西寺とは

  平安京遷都(794年)に伴い、国家鎮護のために朝廷が運営に関与した官寺として東寺と共に建立され、京中では他に寺院の建築は認められなかった。796年ごろに造営が始まり、僧侶が学を修める講堂は832年に完成、882年に五重塔造営を開始。空海に与えられた東寺に対し、天皇の法要を営み、僧籍を管理する機関も置かれた格上の官寺だった。律令(りつりょう)体制の崩壊とともに衰え、990年に講堂、1233年に塔が焼失し、再建されなかった。