1965年フランス生まれ。日本美術史家、2018年4月から現職。びわ湖大津PR大使。著書に『大津絵 民衆的諷刺の世界』(角川ソフィア文庫)。昨年パリで開催の大津絵展を監修。

 江戸初期に大津宿周辺から山科郷四宮村にかけて、超絶技巧とは対極の素朴な味わいの大津絵が生まれた。量産品のヘタウマ、滑稽な画題、廉価が人気を呼び、二百年以上に渡り無名の職人が描き継いだ。

 明治に入っても、法学教師として来日した仏人ジョルジュ・アペールが、「都から東海道で江戸に戻る時、子供たちへの土産には迷わず大津絵が選ばれた」と証言しているほどであった。江戸時代、浮世絵と並ぶ人気の大津絵だったが、今では京都の美大生でさえその存在を知らないと友人の先生も嘆いている。

 江戸時代の庶民文化の一端を担っていた大津絵だが、教科書で扱われることもなければ、美術館で見る機会もめったにないのが原因だろう。

 近代洋画の父・浅井忠は、明治末に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大)で教えていた頃、簡素な線の大津絵に、他の日本絵画にはないデザイン性を見いだした。工芸品に応用し、高弟の梅原龍三郎や小川千甕(せんよう)にも、その魅力を伝えた。彼らが蒐集(しゅうしゅう)した名品の古大津絵は、東京ステーションギャラリーで開催中の「もうひとつの江戸絵画 大津絵」展(11月8日まで)に展示されている。大津絵を「民芸品」としてではなく「絵画」として捉え直し、その受容史を主眼に置く試みである。

 このように大津絵が、単なる旅土産から絵画にまでランクアップしたのは、富岡鉄斎から吉川観方までの、近代の芸術家や好事家のおかげである。関東大震災後に京都に移住した民藝運動のリーダー柳宗悦は、その代表的な再発見者である。

 それに先立って1920年に、篆刻(てんこく)家の楠瀬日年(くすのせにちねん)も、大津絵が消滅することを危惧(きぐ)して、その模写や復刻によって次世代に伝えようとした。さらに、力強い自由奔放な木版画で有名な棟方志功は、大津絵を決まった尺度から外れた「最も日本の美を表示したもの」と絶賛した。「古大津絵に国宝が未だ無いのを可笑(おか)しく思ひます」という1960年の思い切った発言に大きく首肯する。

 今日のポスターのように消耗品であった大津絵は、当時描かれた膨大な数に対し、残された作品はわずかだ。私はこれまでに全国の博物館・美術館で、奇跡的に救われた約600点を確認した。そして、今も欧米でその調査を続けている。

 また、日本でさえ忘れられている大津絵を、浮世絵ファンが多いフランスで紹介しようと、書籍を出版したり、展覧会を監修したところ、仏紙で「庶民の諧謔(かいぎゃく)や諷刺(ふうし)のエスプリが見える」と、好評を得た。ミロやピカソを魅了したことも、大津絵の普遍的な魅力の証であろう。(フランス国立極東学院学院長)