遠方から母の元を訪れる男性。日常は地域の見守りに助けられている(8月29日、京都市南区)

遠方から母の元を訪れる男性。日常は地域の見守りに助けられている(8月29日、京都市南区)

 「700万人時代 認知症とともに生きる」の第2部を9月に連載した。認知症の人を介護する配偶者や子に焦点を当て、もどかしさやいらだちを感じながらも家族として心通わせる姿を取り上げた。認知症は誰もがなる可能性があり、特別なこと、ひとごとではない。社会がどう向き合っていくかを考えるため、読者からの声を紹介したい。

 話せず、ほとんど体も動かせない妻を在宅介護する男性の写真特集。「尽くすことで一生懸命生きて応えてくれていると感じる」とした男性の言葉に、京都市北区の伊東由利子さん(70)は「思いが重なった」とつづった。

 伊東さんは昨夏、自宅で12年間介護した認知症の実父を見送った。晩年は寝たきりだったが、「(伊東さんの介護に)少しでも協力しようとする姿」を父に感じたという。「父は『ありがとう』を忘れませんでした」。認知症が進んでも人としての感情がなくなることはない。「認知症の人」でなく、人として、家族として向き合う大切さが、伊東さんの言葉からも分かる。

 母が介護施設に入所する女性からは「『冷淡な娘』と自己評価し、後ろめたさに苦しむ」と連載への正直な受け止めを寄せていただいた。在宅介護を紹介する報道に息苦しくなる、という。個人を責めている意図はないのに罪悪感を抱かせてしまう、いまの社会の重い雰囲気を感じた。

 家族の介護は「置かれている状況で違い、正解はない」。在宅介護を選んだ伊東さんの言葉だ。家族だけで悩みや苦しさを抱え込まず、必要な助けを外に求めよう―。連載で訴えたかったメッセージの一つだ。妻が入所する施設に通い、失いかけた夫婦の絆を再び紡ぐ男性を紹介した。重い介護負担を施設に委ねて妻と向き合い、「心の介護」を模索する。独居の母を近所の人に見守ってもらっている男性も取り上げた。向き合い方はさまざまだ。

 しかし、もがきながら向き合おうとする本人や家族を社会が追い込んでいる。

 連載で取り上げた、母が亡くなる直前に医師や看護師から心ない言葉を投げ掛けられた女性の体験に対して、双方向型報道「読者に応える」のLINE(ライン)に同じ体験をした読者が投稿し、「思いやりの言葉をかけてもらえたら救われる。いま一度、人としての関わりを考えて」と訴えた。先の女性が自らを「冷淡な娘」としたのも、認知症をひとごととして無配慮に人を扱う言動に触れ、それを自らに投影したからではないか。本人や家族が抱えるつらさに寄り添い、支え合おうとする姿勢が求められているのではないか。

 第2部のタイトルは「分かち合う」とした。「公助」の前に「自助」を出す首相の言葉の背景には、行き過ぎた自己責任の風潮がある。「分かち合える」大切さを訴えたい。