数多くのスターホースを生んできた京都競馬場(京都市伏見区)が、11月1日の開催を最後に長期の大規模改修に入る。競馬場近くにある喫茶店「ポニー」は、半世紀前のオープン当初と変わらぬ姿で営業を続ける。店主や地元の常連客が見つめてきたのは、競馬場との関わりの中で移ろう街の姿だ。

かつては競馬場帰りの客でごった返した夕暮れ時のポニー

 記者がポニーに足を運んだのは、京都競馬場改修前最後のGⅠが行われる25日正午ごろ。カウンター席に座ると、左隣の客から声を掛けられた。「人通りが少ない。これから菊花賞が行われるとは思えないね」。名前に「馬」の字を持つ75歳の老紳士は、かつて勤務した洋服製造会社がポニーの近所にあった縁で、35年間にわたりほぼ毎日来店している。紳士服製造技能士の資格を持ち、この日も自作のスラックスでめかし込んでいた。

 競馬の魅力を知るきっかけは、1968年の第35回東京優駿(日本ダービー)。単勝39・6倍9番人気のタニノハローモアが、圧倒的人気のマーチスやタケシバオーを破ったレースだ。「人気イコール実力じゃない。全ての馬にチャンスがある」。穴党の思い出話は尽きることなく「2004年に淀で行われた天皇賞・春の本命は、2桁人気のイングランディーレ。これが大逃げを打って…」。

 カウンター席の右隣にいたのは近所に住む服部直夫(58)さん。実家の生花店は長年にわたり、京都競馬場のGⅠレースで贈呈用の花束を納めてきた。「ディープインパクトが三冠馬になった05年なんて、ポニーに客が入りきらず行列ができたほど」と振り返る。

「ディープの年はすごい人出だった」と振り返る服部さん(左)

 レジャーの多様化やインターネット投票の発達に伴い、京都競馬場を訪れる人の数は1995年の約380万人をピークに減少を続ける。2011年に京阪淀駅が高架化されたことで駅周辺の人出はさらに激減した。今年は新型コロナの影響で京都競馬場への入場が制限された上、11月1日の開催を最後に長期の開催休止に入る。服部さんは「淀に来る人はもっと減るだろうね」とつぶやく。

 店主の松島真美子さん(70)によると、ポニーの創業は60年代中頃。騎手や調教師として活躍した父が亡くなり、母石井トミさんが女手一つで子どもを育てるために店を開いた。繁忙期は夜遅くまで営業し、高校生だった松島さんも学校から帰ると店を手伝った。

91歳で亡くなった初代店主の石井トミさん

 オープンした当時は競馬場内に厩舎(きゅうしゃ)があり、騎手や調教師が来店することも珍しくなかった。天才ジョッキーとして名をはせた福永洋一さんもその一人。この日、ポニーから目と鼻の先で行われる菊花賞では、息子の祐一騎手がダービー馬コントレイルにまたがり、クラシック三冠に挑むことになっていた。

ポニーのカウンター越しに街の移ろいを見てきた松島さん

 松島さんは「コロナに苦しめられた異常な年だからこそ、スターホースが生まれるとうれしいね。鞍上(あんじょう)が福永騎手ならなおさら」と胸を躍らせる。そして午後3時40分、店内のテレビからファンファーレが響いた瞬間-。テーブル席の客からピラフの注文が入り、松島さんはカウンター奥の厨房(ちゅうぼう)に姿を消した。

ポニー店内のテレビで菊花賞を観戦する常連客たち

 コントレイルはファンの思いを背にターフを駆け、最後の直線、ライバルとのたたき合いを制した。常連たちは偉業をたたえるのもそこそこに、次週の予想談議に花を咲かせ始めた。肝心の場面を見逃した松島さんはというと、苦笑いを浮かべて「先週、牝馬のデアリングタクトが三冠を達成したばかり。京都競馬場とお別れする特別な年に、奇跡が起きたね」。