生魚は苦手でしょう? 自称「ヘンな外人」にとって、これほど退屈な質問はなかった。刺し身は好物だったからだ▼米国との二重生活を送っていた30年以上前に著したエッセーで「恋しくなる食べ物は和食。前世は日本人だったのだろうか」と記している。ドナルド・キーンさんは二つの母国で生きた。その人生を決定づけたのは49セントの本だった▼学生時代、ニューヨークの書店で厚みの割に安価な「源氏物語」を購入。古典の愛と美の世界に揺さぶられ、のめり込む。日本文学の研究が縁で米海軍日本語学校へ。沖縄などで捕虜の通訳などを担当した▼終戦後は京都大に留学するなど、あくなき探究心で研究領域と人脈を広げた。日本人以上に繊細で温かい心の持ち主だったのだろう。「世の常(つね)なさ」と誠実に向き合い、日本文化の世界発信に尽力した▼永住の契機となった東日本大震災では日本人の立ち直る力を信じ、勇気を与え続けた。雅号は「鬼怒鳴門(キーンドナルド)」。時に「鬼」となり、日本の俗化や右傾化を憎んだ▼座右の銘も俳人の松尾芭蕉の紀行から。「つひに無能無芸にして只(ただ)此の一筋に繋(つなが)る」―この言葉通り、慎み深く日本人として逝った。東京の寺にある墓石には犬の絵「黄犬(キーン)」が描かれている。戌(いぬ)年生まれ。最期までワンダフルな生きざまだった。