おでん鍋の前で笑顔を見せる柴田京子さん。「山とみ」に入ると、おでんの世話をしながら客と談笑する柴田さんがいた(京都市中京区)

おでん鍋の前で笑顔を見せる柴田京子さん。「山とみ」に入ると、おでんの世話をしながら客と談笑する柴田さんがいた(京都市中京区)

閉店の知らせを聞いた客が全国から来店し、カウンター席を埋めた(1月30日)

閉店の知らせを聞いた客が全国から来店し、カウンター席を埋めた(1月30日)

 京都市中京区の繁華街、先斗町の名物女将(おかみ)として親しまれた柴田京子さん(76)が1月末に食事処(どころ)「山とみ」を畳んだ。お茶屋から商売替えをして以来55年。太秦の撮影所や南座に出入りする役者をはじめ全国のファンに愛され、惜しまれつつも幕を引いた。

 山とみの歴史は1914(大正3)年創業のお茶屋「山登美」にさかのぼる。山登美は柴田さんの祖母が始め、母が継いだ。柴田さんは店に生まれ育ち、学校を卒業すると母を手伝った。お茶屋は一見客お断りで、広告も不可。切り盛りに苦労し借金を背負う母を見て「お茶屋は私には向かない」と考えるようになった。

 日本中が東京五輪に沸いた64年、柴田さんはお茶屋を食事処に替え、21歳の若さで女将に。「一見さんも気軽に立ち寄れる店にしたい」と、お好み焼きや串カツ、お茶漬けを出した。気取りはないが、確かな味が人気を呼んだ。

 最盛期の顧客名簿は約6千人。ミヤコ蝶々さん、丹波哲郎さん、松平健さんなど、人気俳優も常連に名を連ねた。似顔絵入りのかっぽう着が柴田さんのトレードマーク。おでん鍋から上がる湯気の向こうに浮かぶ女将の笑顔が店の看板になった。

 96年、鴨川にパリ風の橋を架ける市の計画が持ち上がり、景観を守ろうと真っ先に反対の声を上げたのが柴田さんだった。一人で3万6千人分の署名を集め、撤回に追い込んだ。

 花街の風情を守る先斗町のれん会を立ち上げ、会長に就く。だが、情緒を顧みない店や客引きが通りに増えた。常連客は年を重ね、亡くなったり、足が遠のくようになったりして、売り上げが落ちたことで、店を売って借金を整理する決心をした。

 閉店が近づくと、連日、別れを惜しむ客が全国から訪れ、最後の営業日となった1月31日までカウンター席が埋まった。「かなうことならもう一度、気楽な店をやりたい」。店を畳んだ後、先斗町を愛した女将はささやかな夢を語った。