1915年1月、金栗(前列右から2人目の白シャツの男性)が京都二中の生徒らとともに撮影した写真(玉名市所蔵、鳥羽高提供)[LF]

1915年1月、金栗(前列右から2人目の白シャツの男性)が京都二中の生徒らとともに撮影した写真(玉名市所蔵、鳥羽高提供)[LF]

金栗について語る真田教授(左)と藤田教諭=京都市南区・鳥羽高

金栗について語る真田教授(左)と藤田教諭=京都市南区・鳥羽高

 日本が初参加した1912年のストックホルム五輪マラソン代表で「日本マラソンの父」と呼ばれた金栗四三が、15(大正4)年に京都二中(現鳥羽高)の生徒を指導した際に撮影した写真がこのほど、見つかった。当時の金栗は24歳で2カ月前にマラソンの世界記録を更新するなど、選手として脂の乗り切った時期。写真を発見した筑波大の真田久教授(63)は「金栗が現役時代から強い信念で日本に長距離競技を普及させようとしていたことを裏付ける貴重な写真」と話す。

 古い白黒写真に白いシャツと短パン姿で足袋を履いた姿が映る。金栗の左には京都二中初代校長の中山再次郎、後列に競走部の生徒とみられる人物が並んでいる。裏に本人のものとみられる筆跡で、「大正四年一月二十五日京都府立第二中学校ニテ徒歩、駈歩を指導記念撮影す 大正四年二月 東京高師研 金栗四三」と記されている。

 真田教授によると、昨夏、金栗の家族が写真約800枚を生前に住んでいた熊本県玉名市に寄贈。玉名市から写真調査の依頼を受けて調べたところ、京都二中の写真が含まれていた。真田教授は鳥羽高の学術顧問を務めており、12月に同高に連絡した。この日同高を訪れた真田教授は「昭和期に撮影された金栗の指導風景の写真は多く残っているが、大正初期の写真は珍しい」と話す。

 京都二中の歴史を調べている同高の藤田雅之教諭(62)によると、競走部は1910年(明治43年)に創部され、長距離走を奨励していたという。15年当時には10人ほどの部員がいたといい、藤田教諭は「1915年の夏には野球部が第1回大会の全国大会で優勝しており、京都二中でスポーツが盛んだったことがうかがえる」と話した。