1988年ロシア・ウラジオストク生まれ。東京大人文社会系研究科韓国朝鮮文化研究専攻を経て、今春から京都府立京都学・歴彩館の海外若手研究員。京都府立大・横内裕人教授らに師事。

 平安時代といえば「古今和歌集」で味わえる繊細で技巧的な歌風、あるいは「源氏物語」に描かれた宮廷の貴族社会を連想するのが一般的だろう。これに対し、平安時代史の専門家が、とりわけ貴族社会について考える際、「辞官申任」の制度は無視できないものの一つである。

 「辞官申任」は、父が官職を辞任し、その代償として自分の子息または養子、あるいは親類の子弟の官職への任命を申し出て、実現させる制度である。この制度は、各官人の年間勤務の日数と成績が官職の昇進を決めていたという8世紀の律令制的な秩序が次第に衰退していく中で生じた。10世紀中葉に萌ばえ、その後は摂関期と院政期に発展した。鎌倉期に受け継がれ、中世日本の貴族社会に特有の制度として根付いた。

 辞官申任の事例を調査研究した結果、これまで注目されていなかった次の重要な点が明らかになった。

 例えばAとBの官職を持つ父が、A官職を辞任する見返りで子息などのためにC官職を申請する一方、自身はB官職として現役の官人のまま出仕し続ける。このような人事は、朝廷に対する父の奉仕が子供の任官容認の形で広義に評価されたことを意味し、さらに官途に進む機会を得た子供たちが、家を継承する結果をもたらした、といえる。

 また、人事の主導権を握っている摂関や、あるいは天皇・院との信頼関係を築いている父は、バランスよく自らの官職の獲得と辞官申任を繰り返し、自分の生涯の中で子息などに対して数回の任官を確保しておくことができる。

 「父の恩が山より高し」と言われるように、特に官人の数が肥大化して任官待ちの時期が長かった院政期においては、辞官申任は、ポストを得たい子息たちにとって、大きな意義を持っていたに違いない。

 このように、摂関家または天皇家との関係を通じて父が自らの権限を強め、その子息たちのような縁者は粒揃いの候補から選抜されてポストを得る。その結果、貴族のなかの競争心が煽(あお)られ、「早期に子息を任官させたい」という父の意思がますます強く働き、幼少官僚の登場を引き起こす。私の史料調査はまだ途中であるが、辞官申任の方法で初めて登用され、あるいは昇進を得た10代の官人の事例が多く見受けられる。

 同じ時期の高麗にも、親の七光りで初めて官職を得る制度があった。ただし、すでにポストを得た子息の昇進には全く適用されなかった制度で、昇進はほぼ本人の能力次第であった。(アジア古代史研究者)