1945年、須知小に疎開していた兵庫さん(左)と福田さん(京都府京丹波町大朴)

1945年、須知小に疎開していた兵庫さん(左)と福田さん(京都府京丹波町大朴)

京都府京丹波町上野の大円寺に疎開していた児童の写真。椅子に座っている左から2番目が福田美子さん(福田さん提供)

京都府京丹波町上野の大円寺に疎開していた児童の写真。椅子に座っている左から2番目が福田美子さん(福田さん提供)

 京都府京丹波町須知の須知小(現・丹波ひかり小)の同窓会が開かれ、太平洋戦争の戦火から逃れるため、1945年に京都市内から須知小に集団疎開していた女性2人も出席した。戦時の思い出を語らいながら75年ぶりの再会を喜び合った。

 集まったのは、1947年の卒業生12人。京丹波町蒲生に住む林稔さん(85)が中心になり、81年から開催している。

 参加した元疎開児童は、京都府宇治市木幡の福田美子さん(85)と京都市左京区の兵庫いく子さん(86)。福田さんは京都市南区の東和小(現・凌風小中)から京丹波町上野の大円寺へ、兵庫さんは南区の山王小(同)から京丹波町市森の玉雲寺へ疎開。当時小学5年だった45年3月から10月までの約7カ月間を京丹波町で過ごしていた。

 福田さんが本紙夕刊の同窓会情報コーナー「旧交歓談」を目にしたことがきっかけで開催を知り、再会にこぎつけた。

 10月26日の同窓会では「大阪大空襲のときは空が真っ赤に燃えているのが見えた。灰やちりが風に舞って飛んできて、京都やと思って泣いたなあ」「村へお風呂をもらいに行くと、豆の入ったおにぎりをもらえてうれしかったのを覚えてる」と、当時の懐かしい思い出を語り合ったり、それぞれの近況を報告し合ったりして楽しんだ。

 福田さんは「75年の空白を感じないほど皆さん親しくしてくれてうれしかった。もっと若いときにお会いしたかったわ」と笑顔だった。