光秀の前半生や本能寺の変について講演する太田氏 (城陽市寺田・文化パルク城陽)

光秀の前半生や本能寺の変について講演する太田氏 (城陽市寺田・文化パルク城陽)

 京都府城陽市寺田の文化パルク城陽で7日、「明智光秀の生涯と本能寺の変」と題した講演会があった。滋賀県長浜市市民協働部の太田浩司学芸専門監が光秀の前半生や、光秀が織田信長を討った「本能寺の変」(1582年)について解説した。

 日本中世史や近世史が専門の太田氏は光秀の出生年について、1528年や1516年の説があり、「生まれた年すら分からないほど、前半生が謎に包まれている」とした。

 武将としても政治家としても信長に最も忠実な家臣だったと資料を使って説明。本能寺の変の動機について、信長に辱められて仕返しする怨恨(えんこん)説や、天下取りの野望説について太田氏は「歴史的背景を考えると、光秀単独謀反説は考えづらい」と否定した。

 信長と敵対していた足利義昭の接近や、羽柴秀吉といった家臣との激しい勢力争いなどが主な背景とし、「突発的に起きたのでは。そうでなければ、(秀吉に討たれるまでの)計画性のなさが説明できない」と述べた。

 城陽市立図書館と同市歴史民俗資料館が共催し、市内外から約100人が訪れた。