「夜行列車を、夜光列車と書きそうになります」。そんな印象的な文章に出合ったのは、作家の辺見庸さんが初めて出したエッセー集のあとがきだった▼1991年に芥川賞を受賞する少し前、通信社のハノイ支局に勤めていた辺見さんは、雑誌にベトナムの素顔をつづる連載をしていた。当時は戦争の影もあり、古いホテルの闇に浸りながら、異境を行く列車に街の姿を例えたようだった▼この列車はどんな光を放ったのだろう。北朝鮮の金正恩委員長をハノイまで届けた特別列車である。それとも警備のために明かりは抑えたのか。米朝首脳会談がきのう始まった▼注目は非核化の進展である。だが前回より期待のハードルはずいぶん低いようだ。がっかりしないための予防線かもしれない▼トランプ米大統領は経済発展をちらつかせる。ハノイは絶好の見本というわけだ。86年からのドイモイ(刷新)政策が効果を示すのは90年代以降という。辺見さんの頃はまだ闇の中で、文庫化されたときのタイトルは「ハノイ挽歌(ばんか)」だった▼核兵器を葬る歌はいつ奏でられるのか。拉致問題でこれ以上、悲しい歌を聞かずにすむのか―。そんな思いをよそに、始まる前から成果をアピールするかのような会談の行方は、何とも怪しい。ハノイ怪談と書きそうになります。