満願寺跡から出土した黒釉白堆線文壺の破片(京都府舞鶴市南田辺・市郷土資料館)

満願寺跡から出土した黒釉白堆線文壺の破片(京都府舞鶴市南田辺・市郷土資料館)

 鎌倉時代の創建とされる京都府舞鶴市万願寺の満願寺跡から、中国北部の「磁州窯(じしゅうよう)」で中世に作られた陶磁器「黒釉白堆線文壺(こくゆうはくたいせんもんつぼ)」の破片が全国で初めて出土した、と京都府埋蔵文化財調査研究センターが13日、発表した。「満願寺は創建当初、有力寺院だったとみられ、通常の貿易ルートと異なる日本海沿岸を通って運ばれた可能性がある」と指摘している。

 満願寺は鎌倉時代の1218年ごろの創建とされ、室町時代に火災で焼失。江戸時代に再建され、1969年に現在の場所に移築された。昨年度の発掘調査で平安から室町時代の建物4棟の礎石や石組み溝が見つかり、同センターが出土物を分析していた。

 同センターによると、出土した破片は6点で、つなぎ合わせると縦10センチ、横12センチ。同種の壺は、中国河北省にあった磁州窯で平安時代末期の1160年から鎌倉時代初期の1220年にかけて生産。鉄を使った黒いうわぐすりを施し、白泥で生み出される3本線の文様が表現されている。

 当時は、景徳鎮窯など中国南部の陶磁器が福岡県の博多を経由して瀬戸内海を通って京都にもたらされる貿易ルートが通例だった。同時期の磁州窯の陶磁器は国内では白などを基調とした10点が京都市の仁和寺院家跡や岩手県平泉町、福岡県太宰府市などの中世都市で発見されているが、黒色の同壺は出土していなかったという。

 同センター調査課の竹村亮仁主任は「輸入ものの磁州窯の陶磁器は有力者の遺跡から出土している。満願寺は創建時はかなり大きな勢力を持っていた可能性がある。周辺には平家関係の荘園があり、都に近い有力者が関わっていたのでは」と推測する。陶片は23日まで舞鶴市南田辺の市郷土資料館ホールで展示される。入場無料。