日本文化を国際的な視野で総合的に研究する国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区御陵大枝山町)が、共同研究の成果を市民に発信する「日文研―京都アカデミック ブリッジ」第1回が、2020年10月13日に、京都市中京区・京都新聞文化ホールで催された。日文研と提携する京都精華大(左京区岩倉木野町)、京都市立芸術大(西京区大枝沓掛町)からウスビ・サコ、赤松玉女の両学長を招き、井上章一所長と「愛と芸術の都を語ろう」と題してディスカッションした。司会は日文研の呉座勇一助教が務めた。

主催・国際日本文化研究センター、京都新聞
共催・京都精華大、京都市立芸術大
協力・文化庁地域文化創生本部(東山区)

【パネリスト】
井上章一さん 国際日本文化研究センター所長
ウスビ・サコさん 京都精華大学長
赤松玉女さん 京都市立芸術大学長

進行
呉座勇一さん 国際日本文化研究センター助教

京都人を観察してみた

呉座 本題の前に自己紹介からお願いします。

うすび・さこ 1966年生まれ。アフリカ・マリ出身。留学生として30年前に来日、京都大で建築計画を学ぶ。著書に『アフリカ出身サコ学長、日本を語る』。2018年4月から現職。

 サコ アフリカ・マリから遠い国の京都に来て、今年で30年です。留学生として来日し、在住外国人の生活支援や国際交流を行う団体を1988年に結成し、鴨川沿いで毎年ワールドフェスティバルを行うなどの活動を始めました。当時、われわれ留学生は、地元になかなか理解されないことが多かったのです。

 不動産屋に空き部屋の有無を尋ね、初めは「あります」のはずが、留学生とわかった瞬間、「埋まった」と言われるんですね。家主と留学生のマッチングの会をはじめ、いろいろなボランティアを行ってきました。

 おかげさまで、京都の方々の優しさを、身をもって感じつつも、この優しさが日を追うごとに、そして京都の言葉が分かれば分かるほど、これが優しさではなかったことも、また感じ取りました。この話は後ほどさせていただきます。

 専門は空間建築、最近は空間人類学。空間と人の行動を調べています。例えば、私の所属する研究施設では、京都の人たちの打ち水行為を調べました。だいぶマニアックな感じですね。先輩の研究でもありますが、皆さんが水を打った後の水の跡を測るのです。何の意味があるのか。実は京都のコミュニティーは、私たちが知らないうちに結構変化しているのです。

 京都の人たちは変化が嫌いなようで、「何も変わらない」とよく言います。詳しく調べると実は結構変わっており、一番変化するのが人間関係。打ち水の範囲がポイントです。隣の家のエリアまで掛けている人に理由を尋ねると、「うちが掛ける所だから」と答えるんですね。一方、隣家に水を掛けていない人に少し突っ込んでお尋ねすると、「最近、養子はんが来はって」と話してくれたりします。京都の人たちはすごく面白くて、言葉だけでは伝わりにくいところをじっくり観察すると、京都の奥深さが分かってきます。実は京都の美しさはそこに隠れているように思います。

 現在、京都市左京区岩倉木野にある京都精華大の学長を務めています。本学では、学問と芸術を基盤に「違いとともに成長していく」をスローガンとして、ダイバーシティー(多様性)を背景とするグローバルな表現を大切にしています。最近は留学生が非常に増え、24%にも上っています。

 京都の良さは、京都人によってではなく、京都を訪れ、あるいは京都で勉強して京都を好きになった外国人、国内外の学生・研究者たちによって伝えられ、本学はそこにも貢献しているものと勝手に自負しています。また、さまざまなコラボレーションも。「NISHIJIN BUS」の一部に、本学の学生が西陣プロダクトを使用して題材にしたバスの中のデザインを見つけることができるでしょう。

 実は京都は、ものが古くなっていくのではなく、イノベーションを起こしやすいまちであることが分かります。京都の企業や大学が一緒になって京都を盛り上げていくことを信じてやみません。

「善」「悪」2極の間の複雑な感情

あかまつ・たまめ 1959年生まれ。画家。障害のある人々のアート活動を支援。イタリアでの創作活動などを経て、93年に母校の教員に。2019年4月から理事長兼学長。

 赤松 私自身が京都市立芸術大の出身で、先生方のように著書があるわけではありません。絵描きとしてここまでやってきまして、本学の教員も長く務め、昨年、理事長・学長の立場となりました。絵描きを仕事に選んだのは、人前に立ってしゃべらず、ただ作品をつくればいい、との理由でした。昨年からは、いろいろお話する機会をいただいています。

 絵描きとしてどんな作品をつくっているか。スライドで見ていただこうと思います。長らく人物をモチーフにしており、テーマとして「美しい」「醜い」、あるいは「善」「悪」など2極の間の複雑な感情のようなものを表現してきました。現在は「顔」を主題とした作品が中心になっています。

 今年の京都での個展は、コロナ禍で中止しましたが、12月22~27日に「ギャラリーヒルゲート」(中京区)で作品展を開きます。興味がある方は、見に来ていただけたらと思います。

 

 今日は興味深い絵を持ってきました。男性が、一生懸命バイオリンを弾いています。1985年ごろ、私が大学院を修了頃の作品の一つです。当時は、ちょっとした物語、ユーモラスな男性像なども描いており、さまざまなお仕事をいただきました。

赤松玉女さんが、井上章一さんの連載エッセー用に描いた作品。1985年ごろ、月刊雑誌「ライフサイエンス」に連載していた。当時はお互いに面識がなかった

 次のイラストは、文章は井上章一先生で挿絵が私なのです。35年前、エッセーとイラストのコラボレーションを1年以上、雑誌『月刊ライフサイエンス』に連載していたのです。

 当時の先生のエッセーは、毎回タイトルも違えば内容も異なっていて、私は引っ張り回されたような記憶があります。井上先生は、私の描く男性をご自身のことと思われ、私の絵が「けんかを売ってきているのではないか」とずっと思っておられたことを、今になって知りました。逆に、私にとっては毎回苦労しましたが、今見ると、なかなか楽しい思い出です。「ギャルたちの美学」というタイトルの回もあり、ちょっと時代を感じさせますね。

 最後に、京都市立芸術大についてです。本学は今年140周年を迎えました。明治初期、日本初の公立の画学校として始まった大学です。戦後間もなく音楽短期大学ができて半世紀程前に統合し、京都市立芸術大となりました。自然豊かな洛西の西京区大枝沓掛町にあり、2023年度にJR京都駅近くに移転する予定です。移転のプレ事業として、学生の作品と夢が詰まった新しい校舎の模型をJR京都駅西口前で披露しました。

魂は相変わらず洛外

いのうえ・しょういち 1955年生まれ。風俗史。京都大人文科学研究所助手を経て日文研に創設から在籍。近著に呉座勇一氏らとの共著『明智光秀と細川ガラシャ』。

 井上 4月から国際日本文化研究センターの所長を務めています。前任の小松和彦所長からアドバイスをもらいました。「所長の仕事は基本的にあいさつだ。いろんな会合があるから、その会合に行って気の利いたスピーチを毎回こなすのが仕事だ」と。

 ところが4月以降、コロナ禍であいさつの機会がまったくありません。私が人前でしゃべるのは、10月13日のきょうが本年度、たぶん最初だと思います。職場での就任あいさつさえしていません。それなのに、ここへ来て、こんなことをしゃべっていいのだろうかと。そうは言いながらも今週末、同じこの場所でまたお話をしたりするので、どうやら10月から状況が少し変わりだしてきたのかなとも思います。

 京都についてざんげのような話を一言だけさせてください。私は右京区の花園で生まれ、嵯峨で育ちました。典型的な洛外の人間で、いまは宇治で暮らしています。そういう育ちですから、街中の人たちからは60数年にわたって、いろいろなかたちで見下されてきました。その恨みつらみを『京都ぎらい』(朝日新書)という本で晴らそうとしたことがあります。

 2、3年前、必要があって自分の出生届を取り寄せました。驚いたことに、私の出生地は中京区になっていました。私は『京都ぎらい』という本でうそをついたのでしょうか。もちろんうそをつくつもりなどありません。でも出生届が中京区になっている。私はその翌週、90歳を超えたおふくろを責めさいなみました(笑)。なんで言うてくれへんかったんやと。おふくろは「そんなん忘れてた」と答えるだけでした。

 今日、私たちの本を会場で販売してくれている大垣書店の烏丸三条店は『京都ぎらい』を、割といい位置に置いてくれていました。宣伝のポップも本の脇に立ててくれたんですよ。でもそこには、「本当は好きなくせに」と書いてありました。大垣書店にけんかを売られたような気がしたのですが、実は中京生まれだった自分を振り返ると、結構痛いところを突かれていたのかと感じます。

 「自分も洛外だ、伏見だ、山科だ、よくぞ書いてくれた」と思ってくださった方々を、どうやら裏切っていると思います。ですが魂は相変わらず洛外です。そう思ってお付き合いください。