2015年の南座・顔見世で、長男の四代目中村鴈治郎さん(右)の襲名披露口上で並ぶ坂田藤十郎さん(中央)と、次男の中村扇雀さん(左)=京都市東山区

2015年の南座・顔見世で、長男の四代目中村鴈治郎さん(右)の襲名披露口上で並ぶ坂田藤十郎さん(中央)と、次男の中村扇雀さん(左)=京都市東山区

1959年10月21日の京都新聞に掲載された藤十郎(当時扇雀)さん一家。(左から)妻の扇千景さん、藤十郎さん、藤十郎さんの父の二代目中村鴈治郎さん。赤ん坊は現在の四代目鴈治郎さん

1959年10月21日の京都新聞に掲載された藤十郎(当時扇雀)さん一家。(左から)妻の扇千景さん、藤十郎さん、藤十郎さんの父の二代目中村鴈治郎さん。赤ん坊は現在の四代目鴈治郎さん

 京都で生まれ育ち、上方歌舞伎の象徴だった坂田藤十郎(本名林宏太郎)さんが88歳で亡くなったことを受けて、共に上方歌舞伎をけん引してきた片岡仁左衛門さん(76)=人間国宝=ら京ゆかりの関係者からも悼む声が相次いだ。

 京都育ちの仁左衛門さんは「大先輩であり、上方歌舞伎役者の旗印。心の支えでもいらっしゃいましたので、大きなショックを受けております」と打ち明け、「若いころから引き立てていただき、同じ演目でも山城屋(藤十郎)さんと松嶋屋(仁左衛門家)は役作りも違いますが、いろんなことを勉強させていただきました。上方色の濃いあの素晴らしい芸に接することができなくなりましたのは残念でなりません」と惜しんだ。

 藤十郎さんは若い頃、演出家・武智鉄二の「武智歌舞伎」に参加し、京舞の四世井上八千代さんら上方の名人たちから芸を学んだ。

 五世井上八千代さん(63)=人間国宝=は「上方への思いが強く、2004年に祖母(四世)が亡くなった時も気に掛けていただきました。その年の秋、国立劇場での催しで藤十郎(当時鴈治郎)さんが京舞の『ゆき』を舞われ、私のような若い者からお稽古をしていただきましたが、こちらの方が学ぶことが多かったです」と語る。「『合邦』玉手は義太夫の肚(はら)やイキの詰め方、『河庄』は中村富十郎さんらとの絶妙なやりとり、『雁(かり)のたより』は軽妙ながらも手の振りが本当に美しかった。役の形でなく、人の心や魂が舞台にあった」と振り返った。

 顔見世のまねき看板を毎年「勘亭(かんてい)流」で墨書する書家の井上玉清(ぎょくせい)さん(75)=右京区=は「まねき上げでも毎年最後に掲げられる大看板が一つ消えたのは非常にさみしい。でも、今年の顔見世も、きっとどこかで見守ってくれているはず」と思いを込めた。

 藤十郎さんの葬儀・告別式は親族で済ませた。