金関助教授と三宅講師の遺骨収集

金関助教授と三宅講師の遺骨収集

三宅講師が自ら作成した記事スクラップ(鹿児島大所蔵、同志社大の板垣竜太教授提供)

三宅講師が自ら作成した記事スクラップ(鹿児島大所蔵、同志社大の板垣竜太教授提供)

 京都帝国大が戦前に沖縄の墓地から収集した遺骨を沖縄県の一部住民らが返還を求めている問題で、現在京都大が保管している26体は、1体を除き京大が説明している金関丈夫・医学部助教授(のち台北帝国大教授、九州大教授)が収集した遺骨ではなく、医学部の三宅宗悦講師が収集した約70体の一部であることを、同志社大の板垣竜太教授(文化人類学)が突き止めた。

 京都帝大医学部は戦前、アイヌ民族や少数先住民族の遺骨を収集しており、うち沖縄県今帰仁(なきじん)村にある百按司(ももじゃな)墓から持ち出した遺骨については、沖縄県出身の大学教授らが京大に返還を求めた訴訟が京都地裁で係争中。

 京大側は、1929年に京都帝大医学部の「金関助教授が持ち出した人骨」を保管していることを認めつつ、金関氏の随筆に基づき「当時必要と考えられる手続きを経た」として犯罪行為ではないと主張してきた。京大が保管している遺骨は別のルートで集められたものが大半だとすれば、京大側の主張が揺らぐことになる。

 板垣教授はこのほど、金関助教授の調査から4年後の33年に京大医学部の三宅講師(44年戦死)が奄美大島と沖縄本島で人骨を収集したとの文献や、同講師の遺品を調査し、三宅講師が所属した清野謙次教授の教室による人骨コレクション番号と、2004年京大総合博物館調査で判明した琉球人骨26体に付されていた番号を照合。このほど論文にまとめた。

 その結果、京大の人骨コレクションは、解剖学教室系統の金関コレクション(70~80体)とは別に、三宅講師が収集した奄美人骨81体、琉球人骨71体が「清野コレクション」の一部として終戦ごろは京大に存在したことを明らかにした。

 清野教授も沖縄遺骨を収集したのは三宅講師と論文で明かしている。一方、故金関氏は、沖縄で集めた人骨を京大から赴任先の台北帝国大(現在の台湾大)へ運んだと、戦後の論文で振り返っている。遺骨をすべて台湾へ運んだのか、一部は京大に残したかは不明だが、台湾大は昨年、沖縄県教育委員会に遺骨63体分を返還した。

 19日に京都地裁で開かれた琉球遺骨返還訴訟の口頭弁論で、京大側は、「三宅講師が沖縄県内国頭、中頭、島尻等から人骨を採集した事実は認める」とし、現在保管している遺骨が三宅講師収集かは「争わない」とした。また京大側は、三宅講師が沖縄県本部町渡久地の墓で収集した人骨を占有していると、初めて認めた。