京大の三宅宗悦講師が遺骨を収集したとみられる沖縄県本部町渡久地の墓地。今も子孫の祭祀が行われている(2019年、板垣教授提供)

京大の三宅宗悦講師が遺骨を収集したとみられる沖縄県本部町渡久地の墓地。今も子孫の祭祀が行われている(2019年、板垣教授提供)

■遺骨の保管状況が不透明 求められる調査、情報公開

 旧帝大医学部は戦前、人類学研究のために旧日本領の先住民族らの墓地から遺骨を収集した。北海道などのアイヌ墓地から収集された遺骨については、訴訟和解を経て北海道大などが現地のアイヌ民族団体に返還する例が積み重ねられている。同志社大の板垣竜太教授がこのほど発表した論文は、戦前の京都帝国大医学部による沖縄での遺骨収集について、大学の検証姿勢を問い掛けている。

 京大は、戦前に各地から収集した遺骨を何体保管しているのか、アイヌ遺骨を除き明らかにしていない。沖縄の墓地から金関丈夫助教授が収集したものだけでなく、三宅宗悦講師が収集した遺骨も保管していることを、京大も19日、京都地裁で認めた。

 文部科学省は2012年、各大学にアイヌ遺骨保管状況の報告を求めている。この時点までにアイヌ遺骨だけでなく、琉球遺骨を含めて約1400体分あったとされる清野謙次教授のコレクション全体を京大が調査していれば、保管している琉球遺骨26体は、金関助教授収集ルートではないと判明していた公算が大きい。

 これまで問題になってきた金関コレクションの琉球人骨数70~80体の行方とは別に、三宅講師が集めた70体以上が京大に戦前あったことは、保管のずさんさや不透明さの表れといえる。

 板垣教授の調査によると、三宅講師が収集した遺骨は、奄美諸島の墓地からの持ち出しを含めれば150体以上が京大にあった。板垣教授が鹿児島大所蔵の三宅講師の遺品から発見した記事スクラップには当時の地元紙「沖縄日報」の記事があり、「本島人種研究のために来県中の三宅京大講師は(中略)国頭、中頭、島尻三郡を踏査し六、七十点の人骨を蒐集(しゅうしゅう)一先づ旅館に落ち着いた」(1933年12月29日付)などと記されていた。また三宅講師が教室に所属した清野教授の論文(49年)によると、コレクションのうち沖縄で蒐集した人骨は番号を付け、発見地名を百按司(ももじゃな)墓、渡久地、知念村のナワンダ穴などと明記。沖縄分は古人骨が乏しいことも書き残している。

 板垣教授は「三宅講師の奄美調査についてのエッセーでは、拝む人がいるので人骨を返したと書きながら、清野コレクションにはその墓から持ち出した人骨10例が記載されている。礼拝者の存在を認識しながらも、遺骨を持ち去ったケースもあると考えられる」と話す。

 京大には、清野コレクション全体についての情報公開や資料調査が望まれる。

(肩書きはすべて当時)