およそ100年前の京都に、「日本心霊学会」という謎の霊術団体が存在した。いまは学術系出版社として知られる「人文書院」(京都市)の前身で、創業者の蔵から大量に関連資料が発見された。「オカルトまがいと誤解される」と硬派出版社がひた隠しにしてきた過去が、なぜいま明かされたのか。

■開かずの蔵で大量資料発見


 2013年の歳末。「開かずの蔵」の重い扉を、人文書院の3代目社長、渡辺博史さん(62)が開いた。

 蔵の内部は昼間でも闇が覆う。2階部分に延長コードを使って明かりをともしながら進むと、段ボールがいくつも積まれていた。

 その中に入っていたのが、大量の「日本心霊学会」に関する資料だった。

 「直感的に、これは資料的価値があると思いました」。博史社長は振り返る。

 発見された資料は、日本心霊学会が1915(大正4)年から39(昭和14)年に発行した新聞紙大の機関紙「日本心霊」のほぼ完全にそろった紙面約1500点のほか掲載写真、会員名簿などだった。

 会員数は全国で7千人超に及び、当時最大級の霊術団体であることを物語っていた。発送する機関紙の量を誇るような写真も見つかった。

■創業者の旧邸、資料整理で


 蔵は、博史社長の祖父で人文書院の創業者、久吉氏が住んでいた高台寺近くの邸宅敷地内にあった。

 1975年に90歳で亡くなった久吉氏は、日本心霊学会を明治末期に立ち上げ、その出版部を昭和初期に「人文書院」に改名し、初代社長に就いた。久吉氏が亡くなって約40年。老朽化した邸宅を売却することになり、資料整理のため、博史社長が蔵に入った。

 「前身が日本心霊学会という団体であることは、残っている当時の本から知ってはいたが、詳しくは聞かされていなかった。父に聞いても、あまり語りたくないような様子でしたし…」

 博史さんの父、睦久氏は人文書院の2代目社長を務めた。創業者である久吉氏の長男に当たる。

 慶応大学を卒業後、家業に入った2代目は、戦後の50年にサルトル全集の刊行を手掛けた。翌年にその6巻『嘔吐』がベストセラーになり、「サルトルの人文」として人文書院の名を全国に知らしめた。66年には慶応大学とともにフランスからサルトルを招き、国内で講演を開いた。

 「初代がやっていたことに対する反発もあってか、実存主義などに力を入れたようです」。55年に社長に就任。それに伴い、創業者の久吉氏は会長に就いて一線から退いた。

 蔵で博史社長が「日本心霊学会」の資料群を見つけた時、2代目の睦久氏は会長として健在だった。