ロケット戦闘機「秋水」要員だった戦時中の日々を語る佐伯さん(京都市伏見区の自宅)

ロケット戦闘機「秋水」要員だった戦時中の日々を語る佐伯さん(京都市伏見区の自宅)

 太平洋戦争末期、幻の有人ロケット戦闘機「秋水(しゅうすい)」の要員だった男性が京都市伏見区にいる。海軍飛行予科練習生に志願し、長野県の基地へ配属されて秋水の操縦訓練を受けた佐伯昌彦さん(92)。秋水は、最高時速900キロで高度1万メートルまで急上昇し、空襲を繰り返す米軍機B29を迎え撃ち、本土空襲を阻止するため日本軍が開発を急いだが、未完成のまま終戦を迎えた。一般には存在をほとんど知られていない。

 佐伯さんが秋水の操縦兵候補に選ばれたのはわずか18歳。仮に敵機の撃墜に成功したとしても死ぬし、失敗しても墜落死を逃れられない兵器だった、と怒りを込めて語る。「若い人に戦争の無意味さを伝えたい」と京都新聞社に連絡を取り、当時の心境や訓練の様子を語った。

 佐伯さんは、京都市南区で育ち、旧制同志社中4年の時、元海軍大佐だった校長から呼び出され「健康で目の良い者は志願しろ」と命じられた。

 グライダー部に所属して戦闘機乗りに憧れていたことや、36歳で召集され苦労した父から「どうせ軍に入るなら早く入って偉くなったほうが良い」と勧められたこともあり、1944年4月、進級せず海軍飛行予科練習生になった。当時17歳。座学と基礎訓練を通して射撃やモールス通信、航空機の構造をたたき込まれた。

 秋水はB29による空襲を阻止する切り札として、軍と三菱重工が共同開発を目指した日本初のロケット戦闘機。基となった機体図面は、日本軍が潜水艦でドイツから秘密裏に持ち帰った。最高時速900キロで高度1万メートルにわずか3分半で到達し、敵機を攻撃した後はグライダーのように滑空しながら地上に戻る計画だった。

 45年3月、佐伯さんら練習生の配属先が発表され、秋水、モーターボートに爆薬を積んで敵艦に突っ込む「震洋(しんよう)」、海に潜って敵艦に接近し自爆する「伏龍(ふくりゅう)」などの順に名前が読み上げられた。佐伯さんは震洋と伏龍が特攻兵器だと認識していたが、秋水は初耳だった。

 上官に尋ねると「B29を邀撃(ようげき)する戦闘機だ」とだけ返ってきた。「体当たりでもするのか」と思いながらも自分が死ぬという実感はなぜか持てず、「成績優秀だから選ばれた」と誇らしかった。