松本清張には、京都の「先生」がいた。一部で「怪物」とまで恐れられた在野の古代史家を清張はなぜ信奉したのか。昭和を代表する作家との知られざる交友を追う。(THE KYOTO=樺山聡)


■御苑近く、今も残る出版社


 京都市街の中心部に位置する京都御苑の近くに、小さな出版社が今もある。4階建てビルに入っている。

 「綜芸舎」という。ここが、松本清張(1909~92年)が頼った在野の古代史家、藪田嘉一郎(1905~76年)の拠点だった。

 「綜芸舎」は嘉一郎が会社員生活を経て1951年、46歳の時に設立した。嘉一郎は隣の家に住んだ。

 今は、嘉一郎の長男、夏雄さん(81)が受け継ぎ、表装や拓本を中心に手掛けている。

 「綜芸舎」は本来、「しゅげいしゃ」と読む。

 嘉一郎は、空海がつくった学校「綜藝種智院」にちなんで名付けた。

 「誰もが『そうげいしゃ』と読むので、父もついに屈服してしまいました」

 夏雄さんは笑う。

 嘉一郎はこの出版社を夫婦で営み、学術図書出版を手掛けた。

 自身の著書のほか、編集者として古代史や奈良の社寺に関する著作を世に出した。

 還暦を迎えた65年に社業から身を退き、夏雄さんに任せて、自身は研究と著述に専念した。

 清張は73年から朝日新聞に連載した古代史が題材の長編推理小説『火の路』(原題『火の回路』)の執筆に際し、4歳年上の嘉一郎を頼った。

 もちろん、清張のブレーンは嘉一郎だけではなかった。

 『火の路』では、古代仏教寺院や神社建築史の権威として知られた京都大学名誉教授の福山敏男氏(1905~95年)も相談相手だった。

 ただ、研究機関に所属しない民間の研究者は、嘉一郎以外にはいないとされる。