■表札に「デビッド木戸」


 ごく限られた人のみ足を踏み入れることが許された「桃源洞」。周りを威圧的にすら映る黒塀が囲み、外から中をうかがうことは難しかったという。

 とはいえ、周辺には住宅が点在する。夜になれば漆黒の闇に包まれるが、国際的なスターの訪問ともなれば、いやがおうにも目立ったに違いない。関係先から尾行する熱狂的なファンもいたかもしれない。

 「九条山にボウイの家がある」。今のようにSNSもない時代とはいえ、うわさは拡散していった。

 「ボウイ宅を突き止めてくれないか」。ある京都のサブカルチャーに明るい人物は当時、東京の出版社からの「特命」を受け、一帯を歩いた。

 すると、いかめしい塀に囲まれた邸宅に掛かる「デビッド木戸」という表札に目が止まった。

「デビッドということは…」。怪しい。

 彼は考えた。

 「キド」→「キッド」→「子ども」→「ボーイ」→「ボウイ」。

 ボウイが分かりやすく「デビッド」と掲げるだろうかという疑問もよぎったが、黒塀に囲まれた豪邸はスターにふさわしい貫禄にあふれているし、暗号のような名前も彼らしい遊び心と思えなくもない。

 「ここが、うわさのボウイ邸ではないか」

 彼は早速、「成果」を出版社に報告した。こうしてボウイ宅が九条山にあるという「都市伝説」が定着していったに違いない。

 その連想は残念ながら誤っていた。もう一人のDAVID。その名の「キッド」に漢字を当てた趣向だったのだろう。ただ、そこにボウイが足を運んでいた点で、的外れとも言いがたい。うわさの火元は確実に「桃源洞」にあった。

■黒塀にとどめる往時の名残


 しかし、2人の異邦人がひそかに同じ時を過ごした館は、もうない。

 キッドは96年に亡くなり、その後、邸宅は解体された。現在は、ほぼ更地となり、残る外側の黒塀が往時の名残をとどめている。

 ボウイも亡き今、2人が過ごした「夜会」の記憶は遠ざかるばかりだ。

 だが、実はボウイとゆかりの深い坂本龍一氏が「桃源洞」の魔力に引き寄せられるように、ボウイ亡き後、跡地を訪れていた。

 一級の表現者を引きつける磁場のようなものが、この地には潜んでいるのだろうか。だとすれば、それは何なのだろうか。

 ボウイは1980年に英紙のインタビューでこんなふうに語っている。

 〈僕はよく、身震いするような寒い朝に目を覚まして、ここが京都のどこかの禅寺だったらいいのにと思うことがあるんだ〉
 『デヴィッド・ボウイ インタヴューズ』(シンコーミュージック・エンタテイメント)

 単に「京都」というのではなく、「禅寺」を挙げるボウイ。その言葉の奥には、表面的ではない京都での体験をうかがわせる。

 長い歴史の積み重ねとともに、文化が複雑に絡み合った迷宮都市・京都の深部には、例え世界的なスターとはいえ、容易には触れることはできない。その入り口こそが、もう一人の「DAVID」こと、ディヴィッド・キッドが住む「桃源洞」だった。

撮影:鋤田正義